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旅の記憶3 道南 [旅]

平取町.jpg

 北海道の地に初めて足を踏み入れたのは、スケッチブックの旅の数年前でした。小樽へ帰郷した友人と札幌に転勤した友人に誘われて北の大地に渡りました。

 夜の青函連絡船に乗り函館港についた時には、函館の空はまだ夜明け前の青が残っていました。今は違うと思いますが、当時は朝市も木造建屋の雑多な感じで、朝市の端っこにあった小屋のような食堂で何丼だったのか丼を食べた記憶があります。

 函館の街を歩きました。十字街、東京でよく通っていた喫茶店と同じ名前のパン屋さんに親近感を覚えました。路面電車が走り、整った街並みの家々はこじんまりしていました。

 家々の軒先には、プランターに色とりどりの花が植えられていて、長い冬の生活に耐えた北国の人たちの夏を楽しむ気持ちが伝わってくるようでした。

 函館も小樽のように坂の街だったと思います。有名な五稜郭は歩いてみるとあの見事な星形がわからなくてただ広い公園のように思えました。

 魚の匂いと海鳥と野良猫、小さな船が並んだ漁港などを見ながら立待岬まで歩きました。岬への長い坂道の途中、海を見下ろすように石川啄木一族の墓が建っていました。

 函館観光を終えて、函館本線に乗りいよいよ友人のいる小樽を目指しました。途中長万部で駅弁を買ったのは良かったのですが、名物は「かにめし」弁当と言うことを知らず、蕎麦の弁当を買ってしまいました。でも凄くおいしかったです。

 函館から海沿いを走っていた函館本線は長万部を過ぎると内陸に入ります。列車は深い森の中を突っ走り、車窓を覆う圧倒的な緑の美しさに目を洗われるようでした。

 折れた木々が横たわる原始林のような森の中、護岸のない川が草木の間を水量豊かに流れています。自然がそのまま残ったような車窓の風景は私を魅了し続けました。

 木々の向こうに時々見える赤や青の屋根の牧舎や家々を見ていると、ああ北海道へ来たんだなぁと思えてくるのでした。


 冒頭の牧舎の絵は、その時ではなく二回目のスケッチの旅の時に描いたものですが、函館本線の車窓からもこんな牧舎が見えていたように思います。

 すっかり記憶がないのですが、この絵は日高地域、平取町(ぴらとりちょう)というところで描いたものです。スケッチブックの絵の裏に「平取町」としるしています。

 苫小牧・日高方面に行ったことさえ記憶がなくて、この絵が出てくるまでその辺りは未知の所だと思い込んでいました。

 日高線は今は苫小牧から鵡川までですが、かつては苫小牧から様似までありました。利用者減と2015年1月に発生した高波の被害が原因で様似から鵡川までの116キロが廃線となったようです。

札幌~苫小牧.jpg札幌~苫小牧車内にて

 なぜこの地へ行ったのか、思い出すと襟裳岬を目指したのではなかったかと思います。友人に襟裳岬なんて何もないからやめておけと言われたのに決行したような気がします。

 調べると当時は、日高線富川という駅から平取町へのバス路線があったようです。そしてこの平取町はアイヌ文化の拠点の一つだそうです。それでこの町を目指したのかは思い出せません。

 また、同じ日だったのか別の日だったのか、北海道へ嫁いだ同級生に会うために電車に乗った記憶もあります。その時、どういう路線を利用したのか全く記憶がありません。

 彼女の住む大樹町は、今は廃線になった広尾線にあり当時ブームになっていた幸福駅や愛国駅の近くだと聞いていました。

 日高線を様似まで行き、バスで襟裳岬を回って広尾線に乗り継ごうとしたのか、あるいは去年の9月の時、利用したように札幌から帯広を目指したのか、それともその両方だったのか今となっては思い出せません。

 いずれにしても鈍行しか利用しなかった私は、途中でその行き先の遠さに観念してあきらめたのは事実です。東京の距離感と北海道のそれとはあまりにも違いすぎました。

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 去年の9月、このとき未遂に終わった同級生に会いに行く旅を果たしました。その時、妻と一緒にレンタカーで走った国道236号線沿いには、いくつも牧舎や農家を見かけました。平らな大地に近代的な建物が建っていて、そこには大きなトラクターやピックアップトラックなどが止まっていました。


 北海道の旅、私は去年の旅を含めると都合5回行っています。どの旅も素晴らしい思い出がありますが、やはり1度目と2度目の印象が強いです。とくに内地では見ることが出来ない景色の美しさと雄大さに強く惹かれました。

 3度目は新婚旅行、4度目は家族旅行、そしてこの前のシルバー旅行。いずれも気ままな一人旅ではありませんでした。しかし、それにしてもおかしいと思ったのは、景色の雄大さは変わりないのに、緑の美しさに以前ほど感動しない自分がいた事です。

 原因を考えてみるに、一回目の旅と二回目の旅は東京からでした。それ以降は今住む滋賀の田舎からです。東京で暮らしていた私はそれほど緑に飢えていたのかも知れません。

 私の住む町は田舎です。北海道ほど雄大ではありませんが、緑は豊富です。また空気も多少は汚れていますが東京ほどではありません。たぶん、この差が原因ではないかと思います。



画面では平取町が表示されていませんが、プラスボタンを押すと地図が拡大されて表示されます。



 お彼岸の中日を過ぎたというのに、雪がうっすら積もる寒さに震え上がっています。今年の春はまだ遠そうです。

 JAZZの曲で春に関連の曲、意外と少なく思います。そんな中で見つけたSpring Is Here しみじみと語りかけるクリス・コナーの歌を聞きながら春を待ちたいと思います。 


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もう一人の自分 [地域]

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 3月に入っても寒い日が続いています。雨がよく降りますし、晴れても風が強かったり冷たかったりで、一度暖かい思いをした身には真冬より堪える気がしています。それでも自然の動きは進んでいて、枯れ葉色だった休耕地に緑が目立ちはじめ、梅も綻びかけてきました。

 野山でも鳥たちの動きが活発になってきました。ウグイスはきれいな声で鳴き、家の裏にもヒヨドリ、冬の間さっぱり姿を見せなかったスズメの群れ、ムクドリ、カワラヒワ、メジロ、ツグミたちが賑やかに動き回っています。


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 ヤドリギの実を食べるヒレンジャク

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 ヒレンジャクは冬鳥ですが、冬の終わりを告げる鳥でもあるそうです。

1-DSC_1666.JPG 2月半ば、鳥仲間に教えてもらった場所へ遠征して、初めてヒレンジャクを撮影してきました。ヒレンジャクの群れが止まる木々は高く、私のカメラでは少し遠かったです。

 3枚目の写真、尾が鮮やかに赤いヒレンジャクです。群れの中に尾が黄色いキレンジャクも混じることがあるそうですが、今回は見つけられませんでした。


 勤めに行かなくなって、家で妻とお喋りをすることが多くなりました。テレビの話題、ご近所のことやお寺のことなどが話題に上がることが多いです。ただ最近会話の中で妻に指摘されることが多くなってきました。

 聞き間違いや記憶違い、物忘れ、あげくは会話の反応が鈍いなどと言われます。ご近所や同級生で認知症の人が出ているので神経質になっているのかも知れません。

 確かに自覚することも多いのです。言葉や名称、名前などが出にくくなってるのは確かです。物忘れは今に始まったことではありません。しかし、そう言う妻も似たり寄ったりなところもあります。

 お互いに鏡に映る己の老いを見るように、相手の失敗を指摘し合いなすりあって過ごす他愛もない老夫婦の毎日です。どちらかというと6歳年上の私の方がやや分が悪いようです。


 先月のことでした。そんな私が大失態をやらかしてしまいました。私は現在、鍵を3つ預かっています。シルバー人材センターで働いている施設の鍵と、神社の鍵、それから今年からお寺の総代もすることになったのでお寺の鍵の3つです。

 神社とお寺の総代を兼任するなんていかにも日本的ですが、私のまわりにはけっこうおられます。他にも地域や営農組合、森林組合などいくつも組織があるので一人で何役もこなさないと回りません。

 65歳まで働くのは当たり前、私のように70歳まで働く人もあるので、役を引き受けられる人が限られてきます。我が檀家などは軒数も少ないので適応年齢に達すると否応なしに当てられてしまいます。

 ある日のことでした。先輩総代とお寺のゴミの片付けをすることになりました。剪定した木の屑などが放置されたままになっていたので、集めて捨てに行きました。

 それが土曜日で、翌日の日曜日は神社で祭礼がありました。祭礼は正装と決められているので、退職してもう着ることがないと思っていた背広にネクタイ姿で出かけました。

 早朝7時から準備を始めます。祭礼はその時によって少しずつ違いますが基本は同じです。私は総代になって、もうすぐ1年になるのになかなか覚えきれていません。

 祭礼が始まる9時まであたふたと準備をします。祭礼自体は30分ほどのもので、済んでしまえば後は片付けをして終わりです。ただそれだけのことなのに、終わった翌日はなぜか腰や背中、脇腹などに軽い筋肉痛を覚える始末です。

 無事祭礼も終えてのんびりしていた翌日のことでした。妻がお寺に行く用事があって鍵を取り出そうとキーボックスを開けたところ、鍵がないと言います。前々日に使ったのは私です。ゴミを処分するとき、お寺の中にも廃棄物がないか確かめに入ったのです。

 妻にどこへやったと言われても、自分ではキーボックスに返しているものと思っていたので心当たりがありません。しかし、よく考えると確かにキーボックスに返した記憶がありませんでした。

 それから大騒ぎになりました。夜でしかも雨だったのでお寺へ探しに行くことも出来ず、その夜は着ていたジャンパーはおろか着てもいなかった上着のポケットやズボンのポケットまで探したり、またいつものように自分の部屋のどこかにぽいと置いているかも知れないと部屋中家捜しました。もちろん家の中も二人で探しました。

 翌朝、お寺へ行き、私が立ち回ったあたりを中心に妻と二人で探しました。私が一番怪しいと思った、ゴミを廃棄した所にも行きましたが見つかりませんでした。

  ゴミを捨てに行った日は寒かったので、私はジャンバーを着て手袋をしていました。お寺のキーには、金属製のブローチのような形をしたキーボルダーが付いていて、手袋に引っかかりそうで心配だったのは覚えています。ジャンパーの浅いポケットに手や手袋を出し入れしているうちに引っかけて落としてしまったのだと思いました。

 2日ほど家の中、お寺回り、先輩総代さんがゴミ捨て用に出してくれた軽トラックの中まで探してみましたが見つかりません。誰かが拾って届けてくれているかもしれないと、交番に遺失物届けにも行きましたが、拾得物の届けはありませんでした。

 お寺は檀家の建物です。誰かが拾って悪用されたりしたら大変です。総代になってまだ数ヶ月のこの失態、いつまでも紛失したままにはしておけません。

 キーは、マスターキーのナンバーさえ分かればホームセンターで作ってくれたりネットでも注文できるそうです。しかし、ナンバーが分からないとホームセンターでは複製の複製は作ってくれません。そうなると鍵ごと交換とおおごとになります。

 警備会社のセキュリティーキーは、言えばすぐに手配してくれるそうです。但し、あと2名の総代が持っているキーの登録をし直さないといけないことになりそうです。もちろん出費もかかりますがそんなことも言っていられません。

 遺失物届けを出したあと、明日は鍵番号を調べ、キーが作り直せたらセキュリティ会社に連絡をしようと思っていました。そんなとき、外出先の私に妻から電話がありました。「あった、見つかった」と。

 祭礼の日に着ていたスーツのスラックスにアイロンをかけようと持ち上げると、後ろポケットからお寺のキーが落ちてきたのだそうです。

 それを聞いたときはほんとうにほっとしました。家の中で見つかったのなら悪用された心配はありません。キー番号を調べたり、警備会社の世話にならなくても済みます。すぐに警察に電話して遺失物届けを取り下げてもらいました。

 ただ、不思議です。ゴミを捨てに行ったのは土曜日です。それが翌日の日曜日の祭礼用のスーツのスラックスになぜ入っていたのか。まさかそこまでは探索していませんでした。

 お寺の鍵は勝手口のキーボックス、神社の鍵は私の部屋に保管しているので、取り間違えることはありません。しかも私はキーをスラックスの後ろポケットに入れる習慣はないのに、なぜそこに入っていたのか。

 一番妥当な解釈は、神社の鍵を持っていかないといけないと思いながら、間違ってキーボックスのお寺の鍵を持ち出したと言うことしか考えられません。それでもスラックスの後ろポケットは不思議です。スーツなら、深いポケットがいくつもあるのに。

 祭礼が終わった後、社務所の鍵を閉めるときに、私は鍵を忘れてきたと言って別の総代さんに戸締まりをしてもらったのです。つまり間違えて持ってきたどころか、私は鍵を持っている自覚もなかったのです。

 古い記憶も最近はずいぶん怪しくなってきましたが、昨日の自分の行動が思い出せない。こんなことがあるのでしょうか。それともどこかにあずかり知らないもう一人別の自分がいるのでしょうか。

 あれこれと推論を立て、老化した頭の記憶の謎を探るのですがこれと言った答えは見つかりません。ただ今回の紛失、毛糸の手袋に引っかかりそうなキーホルダーにあったと思います。

 他にもいくつかの思い込みがありました。まさかと思っていた翌日使用のスーツを調べなかったのも落ち度でした。

 何か失敗するときは必ず原因のひとつとして思い込みがある気がします。自分の記憶の奥底と失敗の原因を探るのは、ミステリー小説の謎解きより難しいかも知れません。そしてたとえどんな答えが見つかったとしても言い訳にしかなりません。

 このことがあって以来、妻が私を見る目がいっそう厳しくなっているこのごろです。

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 ツグミも冬鳥です。もうすぐ旅立つシベリアへの旅に思いを馳せているのでしょうか。


 サブスクをやめて、レコードやCDを最近は聞いています。そうするとどうしても持っているアルバムからになります。久し振りに聞いたアート・ペッパーの「モダン・アート」滑らかなアルトサックスの音色、自在なアドリブ、やはり良かったです。曲はアルバムトップのBlues Inです。アルバムのラストはBlues Outという曲で締め括られています。 


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