SSブログ

旅の追憶(2) 空知・石狩方面 [旅]

1-PXL_20240125_102700052.jpg
  石狩川畔、矢臼場にて(北海道石狩市親船東2条2丁目)

 小樽と札幌の友人宅に居候しながら、彼らが仕事に行っている間、私は暢気にスケッチブックを持って北海道をあちらこちら歩いていました。

 そのころ私は車はおろか運転免許証も持っていなかったので、移動手段は鉄道とバス、あとは徒歩でした。どこへ行くにも札幌が起点だったように思います。

 小樽にいるときは札幌まで函館本線に乗って出ました。当時、快速エアポートはありません。鈍行で一時間ほどかかったと思います。このとき車窓に迫る石狩湾の景色が目に焼き付きました。

 上のスケッチは新十津川というところへ行った時のものです。当時、新十津川は札沼線の終着駅だったと思います。今は廃線になっていてその跡をたどるのが難しくなっています。

新十津川駅.jpg
 新十津川駅
1-Shintotsukawa_Station_in_Sasshou_Line.jpg
 新十津川駅(2020年8月)
 ネットで拝借した写真です。私が描いたスケッチと角度が違っていますが、建物は同じようです。外壁はスケッチでは板張りのように見えます。白く塗り直されたのだと思います。

 いかにも北海道らしい屋根の煙突、入り口の屋根の形などは当時の面影を残しています。駅舎は廃線後もしばらくは地元の人によって守られていましたが、2021年解体されたそうです。

 地図を見ると滝川、砂川という地名が近くにあって、かすかな記憶があります。私は新十津川駅からたぶん滝川方面のバスに乗り変えて、気に入った景色のところを見つけると途中下車しました。

1-PXL_20240125_105414705.jpg
 矢臼場というバス停でした。近くには石狩川が流れ、その両岸には内地では考えられない広さの畑がうねりながら広がっていました。2.3日ほど通ったと思います。これは石狩川の土手から畑を見下ろして描いたものと思います。

1-PXL_20240125_105312094.jpg
 近くのジャガイモ畑だと思います。

  バスの本数が少ないので、とくに帰りのバスの時間には気を使いました。毎日何もないバス停で乗り降りするので、バス運転手にいぶかしげな目を向けられたことを覚えています。


中徳富(ナカトップ)駅.jpg
 中徳富(ナカトップ)駅 北海道樺戸郡新十津川町字弥生

 ここは全くの無人駅でした。四角くて大きい箱のような駅舎が線路脇にぽつんと建っていて回りに民家はありませんでした。

 どこからどうしてその駅に着いたのかも覚えがありません。本数の少ない列車を待つ間、私はスケッチブックを開いて時間を潰していたようです。

 貨物列車くらいは通ったかもしれませんが、ほとんど往来のない駅に取り残されるうちに日が暮れて行きました。やがて駅舎も外の景色も夕闇に閉ざされ駅舎の中は真っ暗になりました。人っ子一人現れず、遠くの民家から犬の遠吠えだけが聞こえていました。

 この絵の状況は今でも忘れられません。怖くはなかったけれど、痺れるような寂しさが辺りに漂っていました。その記憶が強かったせいかもしれません。私はこの絵の場所を道東のどこかと思い込んでいました。

 ところが今回ブログを書くに当たって、調べてみるとなんと札沼線新十津川駅のひとつ手前の駅でした。もちろん現在は、路線とともに駅も廃止されています。


 新十津川から留萌方面に行く列車があったようです。最近廃線になった留萌本線だと思います。本当は稚内を目指したかったのですが、遠すぎるのでせめて留萌に行きたいと思っていた記憶があります。

 しかし留萌に実際に行ったのかどうか記憶がありません。ただ海辺の景色は覚えています。岬と砂浜に打ち上げられた船、寂しい漁村の連なり。しかしそこが留萌だったのか増毛だったのかそれとも別の所だったのか思い出せません。

厚田村.jpg
 厚田村

 スケッチブックを紐解くと少し分かってきました。どうやら私は新十津川から留萌の方に向かったのではなく、札幌方面から231号線でバスを乗り継いで留萌方面を目指したようです。 

濃昼村.jpg
 濃昼村

 このとき携帯したスケッチブックには漁村の描きかけの絵が何枚か見つかりました。そのスケッチの裏に、厚田村、濃昼(ゴキビル)、幌(ポロ)という地名が書かれていました。書いたのは私ですが、50年近く経つともう別人です。

 地図で見ると231号線は石狩から日本海側沿いに留萌まで北に向かって延びています。その途中に厚田村があり、さらに先に濃昼村、そしてまたその先に幌があります。

1-img20240221_19530573-003.jpg

 札幌から電車かバスで石狩まで行き、そこから231号線のバスに乗って行ったのだと思います。厚田村で途中下車しています。石狩から濃昼村までは69.7キロ、Googleでは車で渋滞無しで1時間半ほどかかります。当時は路線バスなのでもっと時間かかったと思います。濃昼村から幌までは28.9キロ、車で約40分ほどだそうです。

 それでも幌から留萌にはまだかなりの距離が残っています。たぶん私は留萌を目指しながらあまりの遠さに幌あたりで引き返したのだと思います。行くよりも帰りが心配になったのでしょう。

 私は長い間、鉄道で留萌を目指したと思っていたのですが、今回調べると留萌までの日本海沿線に鉄道は走っていませんでした。

濃昼.jpg
 濃昼村


 他にもスケッチに印された地名を調べてみると、え、そんなところにも行っていたのかと地図を見て驚く始末です。今から思うとずいぶん暢気で贅沢な旅をしていたものです。50年近く前の自分を辿る旅、記憶の闇を探るようです。


 あらためて北海道の路線図を見てみると、広い北海道に張り巡らされていた鉄道路線図が拍子抜けするくらい少なくなって、路線図のない白い部分が増えていることに驚かされます。

 私が旅をした50年ほど前は北海道の鉄道は4千キロあったのだそうです。それが今は2千500キロになってしまったとか、この半世紀で半分近くが廃線になったのです。驚きました。

1-img20240221_20572475.jpg
1-img20240221_20560212.jpg

 

 「センチメンタル・ジャーニー」をYouTubeで検索すると松本伊代さんがトップに出てきました。しかし私が旅していた頃、松本伊代さんはデビューさえしていなかったんですね。で、予定通りドリス・ディです。
 


nice!(48)  コメント(32) 
共通テーマ:旅行

nice! 48

コメント 32

ゆうのすけ

「センチメンタル・ジャーニー」は名曲ですよね。
いろんな方が歌っておられますが 私は 阿川泰子さんが
歌っているのが好きです。^^♫~
かなりの路線が廃線になってしまったのでしょうね。
北海道は いつかルーツを探って行ってみたいんですよね。
私の家系のルーツは 一時 江差町にとどまるんですが あのあたりも
廃線になってずいぶんと経ってますよね。
by ゆうのすけ (2024-02-23 14:32) 

yoko-minato

50年ほど前の気ままな旅。
それらをスケッチしてずっと残されて
持っていたのはそれだけ大切な想いが
詰まっているのだと思いました。
駅舎の形が現在も残っているのは
素敵なことですね。
でも北海道の線路がかなり廃線になって
しまったのは寂しいですね。
by yoko-minato (2024-02-23 14:58) 

爛漫亭

 新十津川は奈良・十津川村が洪水で流され、移住して
開拓した所でしょうね。淡路島では阿波蜂須賀藩と戦って
敗れ、浦河に逃れました。北海道にはいろんなセンチメン
タル・ジャーニーがありますね。
by 爛漫亭 (2024-02-23 18:12) 

そらへい

ゆうのすけさん
こんばんは

センチメンタルジャーニーの歌詞の意味、今回初めて知りました。
画面に流れるアメリカの大地は少しだけ北海道を連想させます。
廃線が必ずしも地域の衰退に繋がらないと、どこかで読みました。
もう車社会ですからね。時の変化ですね。
北海道内陸部の短い路線も消えていますが、
やはり海沿いの長い路線が消えているのは寂しいですね。
北海道がルーツなんですか。資料の残っているうちに
しらべらるといいですね。
過去を探るのは、ミステリーを読むみたいに面白いですね。
by そらへい (2024-02-23 20:00) 

そらへい

yoko-minatoさん
こんばんは

若い頃の日記とかスケッチ、案外残しています。
ただスケッチを見返したのは久しぶりでした。
いろいろ面白い発見があって、その頃の自分を思い出しながら
辿るのは面白いです。
ぶらぶら旅をして、絵を描いて歩きたいと
その時はただ思っていただけなのですが。
当時でも無人駅がいくつもあるくらい北海道の
鉄道事情は苦しかったのではと思います。
それが国鉄からJRになって、採算性が重視されて
一気に加速したのだと思います。
内陸もですが沿岸沿いの長い路線が消えているのは寂しいですね。
北海道にもやがて新幹線が走るようになるとか
北海道の風物がどんどん変わっていくことになるのでしょうね。

by そらへい (2024-02-23 20:08) 

そらへい

爛漫亭さん
こんばんは

新十津川は奈良からの移住者が開拓されたところらしいですね。
他にも北海道にはアイヌ語の地名に混じって
内地の地名と同じ地名がたくさんありますね。
去年の9月に訪れた北海道は、50年ほど前に行った頃と比べると
木造の建物がすっかり影を潜めていた気がします。
by そらへい (2024-02-23 20:12) 

hoshikura

そらへいさんへ
スケッチブック風景の数々、素晴らしい趣味ですね。
凄い、そらへいさんの新たな魅力を発見です。
地域住民が気付かない素晴らしい風景をスケッチに残していただきたいです。
北海道の鉄道網は毛細血管の様に張り巡らされていたのに、動脈しか残っていないようで寂しいです。


by hoshikura (2024-02-23 20:40) 

そらへい

hoshikuraさん
こんばんは

このスケッチブックの絵は50年ほど前に描いたもので
今はもう描く技術はさび付き
エネルギーは底をついてしまいました。
今はもっぱら写真です。
写真の風景は、また絵と違った難しさがありますね。
北海道の鉄道、毛細血管と動脈のたとえ面白いですね。
自分が旅した路線が無くなっているのは寂しいですね。

by そらへい (2024-02-23 20:51) 

kiyotan

ナカトップ駅 秘境の駅でしたね
寂しさが絵に滲み出ているし色が良いですね
北海道は好きで行きましたがその辺には流石に
行ったことがなく降りたこともありません
北海道の最果ての駅なんか好きです。
幸福駅も今なくて行った日のこと鮮明に思い出されます。

by kiyotan (2024-02-23 21:29) 

mayu

記憶を、写真ではなく、絵で残すのは、素敵ですね。絵心がなければ、できませんね(*^_^*)
by mayu (2024-02-23 21:36) 

(。・_・。)2k

函館ー札幌結構距離ありますよね
電車で移動したら思いの外時間がかかりました
これも新婚旅行だったんですが その電車にハウンドドッグが
乗っていて  煩いおっさん達だと思ってたのがハウンドドッグでした
by (。・_・。)2k (2024-02-23 21:46) 

いっぷく

>50年近く経つともう別人です。
そういうものですか。
私の50年前は小学生でしたが、その頃の記憶は色々残っていて、母親が当時のノートとか教材を残していたのですが、そレを使ったときのあれこれは執念深く覚えていますね。「あのときは怒られたな」とか。
まもなくして父親がなくなり人生かわってしまったので、自分の脳内では、時間が止まっているのかもしれません。

by いっぷく (2024-02-23 23:47) 

ken

素敵な旅ですね、新十津川、留萌、増毛・・・行けてないところです。
留萌。増毛は高倉健、倍賞千恵子の映画 駅の舞台ですね何回も見ました、流れる先日亡くなられた八代亜紀の舟歌、あこがれの地です。
廃線になる前に行って見たかったです。
by ken (2024-02-24 04:09) 

tarou

お早うございます、湯西川温泉かまくらまつりに
コメントを有難うございました。
平家落人の隠れ里は、日光と言っても山奥の深い谷合に
有り、朝は-4℃まで気温が下がっていました。
宿は源泉かけ流しのお風呂を楽しむことが出来ました。
50年前の北海道は鉄道路線もたくさん有ったんですね、
スケッチブックでたどる北海道良いですね(^^)v

by tarou (2024-02-24 09:50) 

そらへい

kiyotanさん
こんにちは

中徳富駅の情景は今でもよく覚えています。
絵ではまだ光が残っていますが、記憶はもっと夕闇の中です。
地図で見てみると内陸なのですが、最果て感いっぱいですね。
北海道にはそういうところがたくさんありそうです。
観光名所も行きましたが、中心はこういう名もないところに降りて
お気に入りの景色を描くことでした。
この当時、幸福駅は人気があったころと思います。
by そらへい (2024-02-24 12:10) 

そらへい

mayuさん
こんにちは

このころは、車も免許もカメラも持っていませんでした。
部屋にテレビもなく、そういうものに背を向けていた時代です。
今とはずいぶん違いますね。
by そらへい (2024-02-24 12:14) 

そらへい

2kさん
こんにちは

初めて北海道に青函連絡船で上陸したとき
函館から友人の待つ小樽まで函館本線で行きました。
車窓の緑、コンクリ護岸のない水量豊な川、
赤い屋根の色をした牧舎、見るものすべてが新鮮でした。
長万部で、有名なカニめし弁当ではなく
ほかの駅弁を買ってしまったこと覚えています。
でもおいしかった。
by そらへい (2024-02-24 12:24) 

そらへい

いっぷくさん
こんにちは

確かに、50年といわず歳を取ると、昨日の自分が別人です(笑)
記憶に残っていることは、強烈なほど何度も思い出すので
その記憶がずっと残り続けるのでしょうね。
そして自分の記憶だから間違いないかというと
これがよく誇張されたりして間違えていたりします。
私は子供のころの思い出を妻にしゃべったりすると
執念深いとよく言われることがありました。
by そらへい (2024-02-24 12:37) 

そらへい

kenさん
こんにちは

旅をすると半島とか岬とかに行きたくなりますよね。
私はこの時は宗谷岬に行きたかったのだと思います。
「駅」は1981年作なのでその影響ではなかったようです。
山田監督が作品の舞台に北海道を選んでいたのは
それだけ北海道にぴったりした場所があったからなんでしょうね。
幌や濃昼、厚田村などは、普通は通り過ぎるところですが
景色に惹かれて降り立ったのだと思います。
by そらへい (2024-02-24 12:46) 

そらへい

tarouさん
こんにちは

日光にまだ奥深い谷間の名所があったのですね。
隠れ里の温泉、いいところですね。
名所めぐりに飽きたらそんなところでゆっくりしてみたいです。
遠くを見るように今の私は
このころの自分を俯瞰することが出来ますが
当時の私は50年先の自分を想像することはできませんでした。
スケッチブックでたどる旅は、当時の私からのプレゼントです。

by そらへい (2024-02-24 12:54) 

ぼんぼちぼちぼち

新十津川駅、ちっちゃくて和める駅舎でやすね!
北海道旅行は、そらへいさんの、若き日のいい思ひ出なのでやすね!
写真ではなく、こうしてスケッチで遺しておくのも、いいでやすね!
by ぼんぼちぼちぼち (2024-02-25 09:38) 

駅員3

いつもありがとうございます。
うわ~、素敵な絵が何枚も!!
特に中徳富駅の絵にはくぎ付けになりました。
個展やってください!!
by 駅員3 (2024-02-25 11:38) 

Azumino_Kaku

おはようございます。

札幌と小樽にお知り合いがおられて、そこを足場に道内をスケッチ旅行・・なんとも魅力的な旅ですね。

センチメンタルジャーニー、無理やり訳すと「感傷に浸る旅」でしょうか・・私も仕事でしか訪れてないあの場所・・
当時ゆっくり観光する暇もなくて、素通りしていた・・
そんな再訪したいと思っている場所が何か所もあります。
まだ行ってない場所もたくさんあるのに、なぜかそういう場所が気になったりします。

1972年はまだ国有鉄道だったころですよね。分割民営化で、効率的にはなりましたけれど、旅の情緒がなくなりました。

私は北海道を訪れたのがせいぜい2000年くらいで・・
北海道の鉄道に民営化の採算性論理を適用するのは無理があるのではと、訪れる度に思います。

センチメンタルジャーニー、私は、ケイコ・リーさんのバージョンを聴くことが多いです。
by Azumino_Kaku (2024-02-25 14:09) 

そらへい

ぼんぼちぼちぼちさん
こんにちは

新十津川駅、かわいいですよね。
廃線になってもしばらくは地元有志によって守られていたみたいです。
当時の私は、70歳を超えて見直すことがあるなんて想像もできなくて
ただ気ままにスケッチブックを持ちだして北海道を堪能していました。
by そらへい (2024-02-25 14:13) 

そらへい

駅員3さん
こんにちは

お久しぶりです。ご活躍のようで何よりです。
中徳富駅、私の記憶では荒野に取り残されたような印象なのですが
絵を見ると稲が実っていて電信柱もあるので、それなりに人の生活があるところだったのだと気付きました。
ブログにアップして、皆さんに見ていただけるだけでありがたいです。
by そらへい (2024-02-25 14:20) 

そらへい

Azumino_Kakuさん
こんにちは

はっきりは覚えていないのですが、場所によってはまだ蒸気機関車が走っていたのではないかと思います。
客車はほとんど箱型でしたね。
あの頃は北海道鉄道が最盛期、それでも無人駅は多かったですね。
もちろん列車の本数も少なかったです。
車社会になり、JRになって採算性を追求すると
廃線の流れは仕方がないのかもしれません。
ただ、廃線=町の衰退とは限らないようです。
前から鉄道の利用者離れは起こっていたようで
ひょっとしたら無理に鉄道を敷いたのが
間違いだったのかもしれません。

センチメンタル・ジャーニーはなんとなく、
失恋の思いを背負って旅する歌と思っていました。
兵士が戦い終えて故郷に帰る歌だったとは。
ケイコ・リーさんのセンチメンタル・ジャーニー
今度聞いてみます。

by そらへい (2024-02-25 14:47) 

Yamamoto

こんにちは、本当に見事なスケッチ、水彩画です。
今でもやられるんですか?北海道は札幌、小樽、道南しか行った事がありません。
スキーに夢中になってた頃も行きはぐりました。岩手の安比高原なんかで5日も過ごすんじゃなかったと、今になって時々そう思います。
寝台特急で初めて北海道に行った時、函館から札幌まで5時間掛かるのをその函館で初めて知って、まだそんなに掛かるのかと驚きました。
by Yamamoto (2024-02-25 16:07) 

そらへい

Yamamotoさん
こんばんは

学生時代に少し親しんだだけできちっと習ったこともなく、
ただ絵は好きなので下手の横好きですね。
暇なときに手慰みで描く事もありましたが
使わないとどんどん錆び付いて、もう2.30年描いていません。
寝台特急で北海道、体験したことがありません。
私は鈍行で函館から小樽まで、何時間かかったのやら。
北海道は広くて、駅と駅の間隔や列車の本数も違うので
内地の感覚で旅行してよく失敗しました。
by そらへい (2024-02-26 20:09) 

hide-m

50年前の記録が残っているのは、素晴らしいです。私は登山の簡単な記録と登山ごとの代表的な写真をはった手帳が6年分ほど残っています。娘たちが小学生から中学生の頃だから、60年前でしょうか?
by hide-m (2024-02-27 07:47) 

そらへい

hide-mさん
こんばんは

50年前のスケッチ、スケッチ帳のまま本棚に挟んであったのを
思い出して今回取り出し、昔を辿って見ることにしました。
その頃のことは部分部分しか覚えていません。
過去の自分の足跡を辿るのは意外と面白いですね。
hide-mの60年前のご家族の記録も貴重です。
懐かしい思い出のよすがになるのでしょうね。
by そらへい (2024-02-27 19:40) 

たいへー

かの呑み鉄番組でも、北海道の路線が減少してると言ってた。
思い出は遠くなりにけり・・・ですな。
by たいへー (2024-02-28 07:11) 

そらへい

たいへーさん
こんばんは

この旅の後、私は少し大変な思いをするのですが
今となっては、それもこれも貴重な思い出です。
歳を取ると過去は増えて、未来は減ってきますね。

by そらへい (2024-02-28 21:18) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。