春祭り [地域]
今日は5月らしいからっとした晴天でした。我が地域では春祭りの子供神輿の渡御がありました。神社で発輿祭が催され、神官による御霊が移しの儀が行われました。子供たちを先頭に台車に乗せられた神輿が出発です。
神社の参道の坂道を降りていく神輿
長い間、当地のお祭りは5月1日と決められていましたが、今年から祭日の5月3日に変更されました。それが良いのか悪いのか、今年に限っては宵宮の4月30日、祭りの5月1日は雨だったので変更は良かったことになります。また、子供たちの保護者も数多く参加されていて、それなりに賑わった気がしました。
神輿は車通りのある旧街道を主に巡行します。祭日のせいか車通りも去年に比べると少なかったようで、神輿の巡行が車の通行によって遮られることが少なかった気がしました。
最後の休憩所で一休みしているところ。残りの行程はあと4分の1ほどです。神輿と一緒に歩いた歩数は1万6千歩ほどだったでしょうか、最後はさすがに足が怠くなってきました。
私は去年から神社の総代を務めています。毎年のこととは言え、準備中からいろいろな事があります。それでも神輿の渡御が事故や怪我なども無く、お天気にも恵まれて無事済んだことに安堵します。
春祭りが済んだら今度は田植えが待っています。春夏野菜の植え付けも準備は出来ているのですが、取りかかる余裕がありません。明日はゆっくり休んで、明後日は田植え、それが済んだら取りかかろうかと思っています。
今日は疲れているのでこの辺で隔週金曜の報告を終わることします。
もう一人の自分 [地域]
3月に入っても寒い日が続いています。雨がよく降りますし、晴れても風が強かったり冷たかったりで、一度暖かい思いをした身には真冬より堪える気がしています。それでも自然の動きは進んでいて、枯れ葉色だった休耕地に緑が目立ちはじめ、梅も綻びかけてきました。
野山でも鳥たちの動きが活発になってきました。ウグイスはきれいな声で鳴き、家の裏にもヒヨドリ、冬の間さっぱり姿を見せなかったスズメの群れ、ムクドリ、カワラヒワ、メジロ、ツグミたちが賑やかに動き回っています。
ヤドリギの実を食べるヒレンジャク
ヒレンジャクは冬鳥ですが、冬の終わりを告げる鳥でもあるそうです。
2月半ば、鳥仲間に教えてもらった場所へ遠征して、初めてヒレンジャクを撮影してきました。ヒレンジャクの群れが止まる木々は高く、私のカメラでは少し遠かったです。
3枚目の写真、尾が鮮やかに赤いヒレンジャクです。群れの中に尾が黄色いキレンジャクも混じることがあるそうですが、今回は見つけられませんでした。
勤めに行かなくなって、家で妻とお喋りをすることが多くなりました。テレビの話題、ご近所のことやお寺のことなどが話題に上がることが多いです。ただ最近会話の中で妻に指摘されることが多くなってきました。
聞き間違いや記憶違い、物忘れ、あげくは会話の反応が鈍いなどと言われます。ご近所や同級生で認知症の人が出ているので神経質になっているのかも知れません。
確かに自覚することも多いのです。言葉や名称、名前などが出にくくなってるのは確かです。物忘れは今に始まったことではありません。しかし、そう言う妻も似たり寄ったりなところもあります。
お互いに鏡に映る己の老いを見るように、相手の失敗を指摘し合いなすりあって過ごす他愛もない老夫婦の毎日です。どちらかというと6歳年上の私の方がやや分が悪いようです。
先月のことでした。そんな私が大失態をやらかしてしまいました。私は現在、鍵を3つ預かっています。シルバー人材センターで働いている施設の鍵と、神社の鍵、それから今年からお寺の総代もすることになったのでお寺の鍵の3つです。
神社とお寺の総代を兼任するなんていかにも日本的ですが、私のまわりにはけっこうおられます。他にも地域や営農組合、森林組合などいくつも組織があるので一人で何役もこなさないと回りません。
65歳まで働くのは当たり前、私のように70歳まで働く人もあるので、役を引き受けられる人が限られてきます。我が檀家などは軒数も少ないので適応年齢に達すると否応なしに当てられてしまいます。
ある日のことでした。先輩総代とお寺のゴミの片付けをすることになりました。剪定した木の屑などが放置されたままになっていたので、集めて捨てに行きました。
それが土曜日で、翌日の日曜日は神社で祭礼がありました。祭礼は正装と決められているので、退職してもう着ることがないと思っていた背広にネクタイ姿で出かけました。
早朝7時から準備を始めます。祭礼はその時によって少しずつ違いますが基本は同じです。私は総代になって、もうすぐ1年になるのになかなか覚えきれていません。
祭礼が始まる9時まであたふたと準備をします。祭礼自体は30分ほどのもので、済んでしまえば後は片付けをして終わりです。ただそれだけのことなのに、終わった翌日はなぜか腰や背中、脇腹などに軽い筋肉痛を覚える始末です。
無事祭礼も終えてのんびりしていた翌日のことでした。妻がお寺に行く用事があって鍵を取り出そうとキーボックスを開けたところ、鍵がないと言います。前々日に使ったのは私です。ゴミを処分するとき、お寺の中にも廃棄物がないか確かめに入ったのです。
妻にどこへやったと言われても、自分ではキーボックスに返しているものと思っていたので心当たりがありません。しかし、よく考えると確かにキーボックスに返した記憶がありませんでした。
それから大騒ぎになりました。夜でしかも雨だったのでお寺へ探しに行くことも出来ず、その夜は着ていたジャンパーはおろか着てもいなかった上着のポケットやズボンのポケットまで探したり、またいつものように自分の部屋のどこかにぽいと置いているかも知れないと部屋中家捜しました。もちろん家の中も二人で探しました。
翌朝、お寺へ行き、私が立ち回ったあたりを中心に妻と二人で探しました。私が一番怪しいと思った、ゴミを廃棄した所にも行きましたが見つかりませんでした。
ゴミを捨てに行った日は寒かったので、私はジャンバーを着て手袋をしていました。お寺のキーには、金属製のブローチのような形をしたキーボルダーが付いていて、手袋に引っかかりそうで心配だったのは覚えています。ジャンパーの浅いポケットに手や手袋を出し入れしているうちに引っかけて落としてしまったのだと思いました。
2日ほど家の中、お寺回り、先輩総代さんがゴミ捨て用に出してくれた軽トラックの中まで探してみましたが見つかりません。誰かが拾って届けてくれているかもしれないと、交番に遺失物届けにも行きましたが、拾得物の届けはありませんでした。
お寺は檀家の建物です。誰かが拾って悪用されたりしたら大変です。総代になってまだ数ヶ月のこの失態、いつまでも紛失したままにはしておけません。
キーは、マスターキーのナンバーさえ分かればホームセンターで作ってくれたりネットでも注文できるそうです。しかし、ナンバーが分からないとホームセンターでは複製の複製は作ってくれません。そうなると鍵ごと交換とおおごとになります。
警備会社のセキュリティーキーは、言えばすぐに手配してくれるそうです。但し、あと2名の総代が持っているキーの登録をし直さないといけないことになりそうです。もちろん出費もかかりますがそんなことも言っていられません。
遺失物届けを出したあと、明日は鍵番号を調べ、キーが作り直せたらセキュリティ会社に連絡をしようと思っていました。そんなとき、外出先の私に妻から電話がありました。「あった、見つかった」と。
祭礼の日に着ていたスーツのスラックスにアイロンをかけようと持ち上げると、後ろポケットからお寺のキーが落ちてきたのだそうです。
それを聞いたときはほんとうにほっとしました。家の中で見つかったのなら悪用された心配はありません。キー番号を調べたり、警備会社の世話にならなくても済みます。すぐに警察に電話して遺失物届けを取り下げてもらいました。
ただ、不思議です。ゴミを捨てに行ったのは土曜日です。それが翌日の日曜日の祭礼用のスーツのスラックスになぜ入っていたのか。まさかそこまでは探索していませんでした。
お寺の鍵は勝手口のキーボックス、神社の鍵は私の部屋に保管しているので、取り間違えることはありません。しかも私はキーをスラックスの後ろポケットに入れる習慣はないのに、なぜそこに入っていたのか。
一番妥当な解釈は、神社の鍵を持っていかないといけないと思いながら、間違ってキーボックスのお寺の鍵を持ち出したと言うことしか考えられません。それでもスラックスの後ろポケットは不思議です。スーツなら、深いポケットがいくつもあるのに。
祭礼が終わった後、社務所の鍵を閉めるときに、私は鍵を忘れてきたと言って別の総代さんに戸締まりをしてもらったのです。つまり間違えて持ってきたどころか、私は鍵を持っている自覚もなかったのです。
古い記憶も最近はずいぶん怪しくなってきましたが、昨日の自分の行動が思い出せない。こんなことがあるのでしょうか。それともどこかにあずかり知らないもう一人別の自分がいるのでしょうか。
あれこれと推論を立て、老化した頭の記憶の謎を探るのですがこれと言った答えは見つかりません。ただ今回の紛失、毛糸の手袋に引っかかりそうなキーホルダーにあったと思います。
他にもいくつかの思い込みがありました。まさかと思っていた翌日使用のスーツを調べなかったのも落ち度でした。
何か失敗するときは必ず原因のひとつとして思い込みがある気がします。自分の記憶の奥底と失敗の原因を探るのは、ミステリー小説の謎解きより難しいかも知れません。そしてたとえどんな答えが見つかったとしても言い訳にしかなりません。
このことがあって以来、妻が私を見る目がいっそう厳しくなっているこのごろです。
ツグミも冬鳥です。もうすぐ旅立つシベリアへの旅に思いを馳せているのでしょうか。
サブスクをやめて、レコードやCDを最近は聞いています。そうするとどうしても持っているアルバムからになります。久し振りに聞いたアート・ペッパーの「モダン・アート」滑らかなアルトサックスの音色、自在なアドリブ、やはり良かったです。曲はアルバムトップのBlues Inです。アルバムのラストはBlues Outという曲で締め括られています。
大祓 [地域]
林道の緩やかな坂道を下っていると、西の空にひつじ雲が浮かんでいました。今朝は久しぶりにピリッと寒い朝、山影の草の上には霜の白い跡がわずかに残っていました。
やはり寒い時期は、これくらい寒いほうが身が引き締まる気がします。このところ暖かい日が多くて、歩いていても汗ばんでくるほど、暖かいから何かしたいのだけど何も思いつかなくて、もやもやした日を過ごしていました。
秋の始まりの頃、家の裏を賑わしていた鳥たちも、暖かさが戻ってきてから急に姿を見せなくなりました。ジョウビタキ、モズだけでなく、セキレイやスズメさえ最近姿をあまり見せません。
山の麓まで行くと、ジョウビタキ、モズ、おなじみのヤマガラやコゲラ、メジロなどに出会えます。ルリビタキの情報も少しずつ聞こえてくるようになってきましたが、まだ姿は見ていません。
先週の日曜日は氏神様の年末行事、大祓(おおはらい)がありました。私は今年から総代で、神主さんと一緒に氏子の家を一軒一軒歩いて回りました。
大祓いというのは、私も総代をしながら詳しいことは何も知りません。地元ではずっと昔から営々と続いている神社の年中行事の一つです。多分、氏神様に一年の諸々のことをお祓いしてもらうことなのだと思います。
以前は神主さんがお一人だったので一日仕事だったそうですが、今はお二人で西と東に分かれて回られるので午前中で済むようになりました。
私は西の方が分担でした。もう一人先輩の総代さんと神主さんの三人一組で回ります。私は新人なので本来は先導役と運転手なのですが、先輩総代さん、足が悪くて正座できないので私が神主さんに同行することになりました。
と言ってもすることは、神主さんと一緒に氏子の家に上がり、神棚の前で神主さんが祝詞を奏上される横に座り、神主さんに合わせて二礼二拍手一礼をするだけです。
氏子の家の造作も様々、神棚は玄関近くにある家もあれば居間や仏間にあるお宅もあります。こんな機会でもないとなかなか他人の家の中に入ることなどありません。つい見回してしまいそうになりますが、できるだけ神棚を仰ぐか俯くようにしていました。
そんな中、気になった事がありました。何軒かの家の神棚の上の天井に「雲」と書かれた半紙が貼られていたことです。我家は貼っていません。親戚の家でも見たことがありません。
何の意味があるのか、帰ってから調べてみました。神棚の上に部屋があり、そこで人が暮らしている場合に貼るものだそうです。
もちろん必ずしも貼らなければいけないわけでもないそうです。我が家も神棚の上に部屋はありますが物置だから貼っていなくても良いだろうと思います。
大祓、初めてのことだったので色々学ぶことが多かったです。まず家と主を知らないお宅が何軒かありました。お顔を存じているけれど家を知らなかったり、家も住んでおられる方も知らなかったり。
事前に知らせてあるので皆さんお迎えに出てくれます。その時意外だったのはご主人が応対された家が多かったことです。日曜日のせいかと思いました。
ご夫婦で一緒に拝まれたり、奥さんだけの家もありましたが少数でした。我が家はずっと長い間、ほとんど妻に任せきっていたので、家に帰ってから驚いたことを妻に話しました。
そのことを後でご近所の婦人方に妻が喋ったところ、それが当たり前だと言われたそうです。家によっては神棚のことは男の人の仕事で主婦は触らせてもらえないのだそうです。
我が家は諸事情で、両親からの引き継ぎができていないことがたくさんあります。父から家を引き継いでほぼ40年、今更知る事となりました。来年から神棚の掃除から飾り付けまで任されそうです。
12月になってもう半分がすぎ、今年も残り半月になりました。今日から年賀状受付だそうですが、まだ何も手を付けられていません。
いつまでも暖かい冬もいよいよ来週から急激に寒くなるそうです。エレベーターのように上下する気温、体がついていけません。皆様もお体に気をつけられますように。
今夜のジャズは1941年録音のWinter Weather 演奏はベニー・グッドマンとペギー・リーです。少し古めかしい演奏ですが、クラリネットとボーカルのソロは時代を超えて聞かせます。
月は西に日は東に [地域]
11月2日朝7時半ごろ、散歩に出かけようとしたところ西の空に薄い月が残っていました。背後の東の空に朝日が上がっています。
月は東に日は西と反対だなと思いながら、そういえば月は東に日は西に、というフレーズは何だったかなと思いました。散歩から帰って調べたら、「菜の花や 月は東に日は西に」という与謝蕪村の句でした。
季節が真逆です。今ならさしずめ、薄の穂 月は西に日は東に というところでしょうか。
先日と言っても10月のことですが、 地域で「リズム体操」が催されました。夏休みに子供たちのお相手をして今回は私と同じ年代の高齢者の方々のお相手でした。
来られた方から順番に、まず体重と身長を測定してから筋肉量や脂肪量などが測れる体組成計に乗ってもらいます。それから血圧測定、ベジチェックという野菜をどれだけ食べているかという測定をしてもらい、最後に握力という簡易健康チェックです。
私も合間を縫って測ってもらいました。体組成計は我が家のものと同じメーカーでしたがそれよりずっと大きくて重そうでした。測定項目も細かくて多かったです。
測定結果はすぐにプリントアウトされました。私はほとんどの項目が標準で、良くないのは内蔵脂肪レベルがやや過剰で、良かったのは基礎代謝レベルが燃えやすいでした。
べジチェックというのは計ったことがありません。センサーに手の平を30秒ほどあてて測定します。私の値は5・6でした。6以上が良い値だそうでもう少しというところでした。
測定が済んだあとインストラクターの指導の下、椅子に座っての体操が30分、椅子から立って体を動かすリズム体操が30分ありました。
私も混じって参加しました。初めての体験でしたが楽しかったです。インストラクターの方が上手で、参加者にケガのないように最初の30分で十分体ほぐしをされました。それだけで体がポカポカしていました。
すべての体操を終えると息が上がっている方もあるようでしたが、皆さんリタイアされることもなく元気に体を動かしておられました。私は動きについていくのに忙しく写真を撮る暇がありませんでした。
最後に健康委員の方から体組成計の値の見方や血圧、ベジチェックの説明などがあり、ちょうど12時でお開きになりました。
募集に制限はなかったのですが、参加者されていたのは全員女性の高齢者でした。冒頭の挨拶で主催者の幹事が、先月の敬老の日の統計から100歳以上の方が9万人を超え、そのうち女性人口が88%と言われていましたが、それも納得できる気がしたのでした。
「ニューヨークの秋」を探しているとエラとルイの演奏がありました。それにしようと思いながらお隣のCan't We Be Friends?が気になって、聞いてみたらこちらのほうがテンポよかったのでこちらにしました。
来られた方から順番に、まず体重と身長を測定してから筋肉量や脂肪量などが測れる体組成計に乗ってもらいます。それから血圧測定、ベジチェックという野菜をどれだけ食べているかという測定をしてもらい、最後に握力という簡易健康チェックです。
私も合間を縫って測ってもらいました。体組成計は我が家のものと同じメーカーでしたがそれよりずっと大きくて重そうでした。測定項目も細かくて多かったです。
測定結果はすぐにプリントアウトされました。私はほとんどの項目が標準で、良くないのは内蔵脂肪レベルがやや過剰で、良かったのは基礎代謝レベルが燃えやすいでした。
べジチェックというのは計ったことがありません。センサーに手の平を30秒ほどあてて測定します。私の値は5・6でした。6以上が良い値だそうでもう少しというところでした。
測定が済んだあとインストラクターの指導の下、椅子に座っての体操が30分、椅子から立って体を動かすリズム体操が30分ありました。
私も混じって参加しました。初めての体験でしたが楽しかったです。インストラクターの方が上手で、参加者にケガのないように最初の30分で十分体ほぐしをされました。それだけで体がポカポカしていました。
すべての体操を終えると息が上がっている方もあるようでしたが、皆さんリタイアされることもなく元気に体を動かしておられました。私は動きについていくのに忙しく写真を撮る暇がありませんでした。
最後に健康委員の方から体組成計の値の見方や血圧、ベジチェックの説明などがあり、ちょうど12時でお開きになりました。
募集に制限はなかったのですが、参加者されていたのは全員女性の高齢者でした。冒頭の挨拶で主催者の幹事が、先月の敬老の日の統計から100歳以上の方が9万人を超え、そのうち女性人口が88%と言われていましたが、それも納得できる気がしたのでした。
「ニューヨークの秋」を探しているとエラとルイの演奏がありました。それにしようと思いながらお隣のCan't We Be Friends?が気になって、聞いてみたらこちらのほうがテンポよかったのでこちらにしました。
今年の夏 [地域]
今日から9月になりましたが今年の夏はまだまだまだ終わりそうにありません。連日の猛暑、京都は猛暑日が37日を超えたそうで、子供たちの夏休みが丸々猛暑日だったのと同じ計算になるそうです。
当地はそこまでひどくありませんが、それでもこの夏、猛暑日がほぼ一ヶ月になるようです。この猛暑は西日本だけではなく日本全国を覆っています。
夏は涼しいと憧れる北海道でも8月の半分以上が30度を超え、8月末に猛暑日が続く日さえありました。北海道に住む友人が生まれて初めてのことだと言っていました。
この猛暑、天気予報では9月中旬近くまで続くそうです。そして南の海上で続々と発生している台風、皮肉なことに太平洋高気圧が強く張り出しているために、日本列島を避けるように逸れています。
夏休み中、子供たちのために市内各地で教室が開かれていました。地元の小学生が対象で予約制の自由参加です。私は今年から市のボランティア団体に入れられてしまったので、こういう催しがあるときは声がかかります。
初めてのことなので何をしていいのかわかりません。最初の30分ほどは自習時間で子供たちは夏休みの宿題などを開いていました。後ろでぼうっとしていても仕方ないので、ほかの方々のようにそっと子供たちの机の周りをまわります。
難しいことを聞かれたら困るなと思い、出来るだけ小学低学年の子を選び、高学年で算数を開いている子などは避けるようにしていました。
ボランティアをされている方の中には教師経験者の方もおられて、その方は積極的に子供たちに声をかけておられました。学校の先生や校長先生が途中から顔を出されることもありました。
いろいろなカリキュラムがあるのですが、この日は折り紙アートの日でした。紙飛行機くらいしか折れない私が教えるのかと思っていたら、楽しい折り紙を教えてくれるのは別のボランティアグループの方々でした。
皆、年配の女性の方でしたが、正面でグループの紹介やら説明など全般を仕切っていたリーダーさん、どこかで見た人だと思ったら中学の同級生でした。
彼女も以前は小学校の先生をしていたのですが、退職してから折り紙のボランティアを長い間続けているのだそうです。
(ウチワにそれぞれ自分が作った折り紙を貼り付けて、最後にみんなで指導員の方に写真を撮ってもらっていました)
折り紙は朝顔、恐竜、ペンギン、イルカのテーブルに分かれていました。私は朝顔の葉っぱを折るのを手伝っただけです。根が不器用なのであまりきれいに折れません。
男の子たちは圧倒的に恐竜に集まっていました。他の子たちは朝顔、イルカ、ペンギンに分散、ペンギンが可愛くて人気がありました。
賑やかに、時には折り紙ボランティアの方に聞いたりしながら、すぐに覚えてたくさんの折り紙を折っていたのはさすがです。そしてウチワにならべて貼り付けて仕上げです。同じものを折っていても出来映えはそれぞれ個性があって感心させられました。
この教室は、他にパン作り、習字、抹茶、バルーンアートなどがあり、市内各所学区ごとに何回かに分けて開かれていました。
こちらは習字の会場で和室でした。畳の上にシートが敷かれているのは、去年、子供たちが畳に墨をこぼしてしまって、畳が総入れ替えになったからだそうです。ここで習字を書いておくと夏休みの宿題が一つ出来上がることになります。
パン作りは親と子の参加になるので大盛況だったそうですが、私はお呼びじゃないと参加しませんでした。役員さんや熱心な方はいくつもの会場に顔を出しておられたようですが、私は合計4日の参加でした。
子供たちとのふれあいは思ったより楽しかったです。とくに最後の日は抹茶、バルーンアートの日でした。抹茶教室は数名のグループに分かれていくので、残った子たちはバルーンアートや風船作りをします。
普通の風船を膨らませてその表面にビニールテープを何回かまくと、風船がボールのような弾力を持つようになります。あとはバルーン風船でネズミを作ってました。
風船を膨らませたり、ビニールテープを風船の表面に貼る作業は手伝いが必要で私でも出番が多かったです。とくに子供たちは風船の最後を結ぶのが難しかったようでよく頼まれました。冷房が効いた部屋なのに、気づくと汗をかいてしまっていました。
朝8時半から11時半までの3時間でしたが、元気で屈託のない子供たちとふれあって、この日一日中私は調子が良かった気がしました。
私たち市のボランティアの仕事はそんなに忙しいわけではありません。春には公園の花壇づくり、草刈りなどがあり、夏休みは子供教室のお手伝い、9月から年末にかけて今度は自分と同じ世代、お年寄りとのふれあいになります。
睡眠講座、フレイル講座、椅子ヨガ、リズム体操、脳トレ、お口のトレーニングなどが月ごとに12月まで各地の公民館などで開かれます。企画運営される方がたのご苦労は大変だと思います。私はこの中の一日、地元で開かれるリズム体操で会場の準備や受付などをお手伝いをする予定です。
8月の下旬、友人が役員をしている地域での夏祭り、ジャズ演奏があるからおいでというので行ってきました。私たちの地域の夏まつりより場所も広くてにぎやかでした。焼きそばやたこ焼き、かき氷などの屋台、盆踊り、音楽演奏など大々的にやっていました。
祭りの最後の演目、ジャズ演奏はコンボかと思っていたらまさかのビッグバンドで驚きました。狭いステージに17名の奏者が並んで、久し振りに生のビッグバンドの熱気と音圧を体感しました。
夏祭りで聞いたビッグバンドのリーダーさんが、自分たちはカウント・ベイシー楽団を主にコピーしているとおっしゃっていました。電子ピアノでしたがピアノの雰囲気、どこか聞いた事があると感じたのはベイシーのコピーだったからかもしれません。ビックバンドですが、独特の味わいがあるベイシーのピアノです。
当地はそこまでひどくありませんが、それでもこの夏、猛暑日がほぼ一ヶ月になるようです。この猛暑は西日本だけではなく日本全国を覆っています。
夏は涼しいと憧れる北海道でも8月の半分以上が30度を超え、8月末に猛暑日が続く日さえありました。北海道に住む友人が生まれて初めてのことだと言っていました。
この猛暑、天気予報では9月中旬近くまで続くそうです。そして南の海上で続々と発生している台風、皮肉なことに太平洋高気圧が強く張り出しているために、日本列島を避けるように逸れています。
夏休み中、子供たちのために市内各地で教室が開かれていました。地元の小学生が対象で予約制の自由参加です。私は今年から市のボランティア団体に入れられてしまったので、こういう催しがあるときは声がかかります。
初めてのことなので何をしていいのかわかりません。最初の30分ほどは自習時間で子供たちは夏休みの宿題などを開いていました。後ろでぼうっとしていても仕方ないので、ほかの方々のようにそっと子供たちの机の周りをまわります。
難しいことを聞かれたら困るなと思い、出来るだけ小学低学年の子を選び、高学年で算数を開いている子などは避けるようにしていました。
ボランティアをされている方の中には教師経験者の方もおられて、その方は積極的に子供たちに声をかけておられました。学校の先生や校長先生が途中から顔を出されることもありました。
いろいろなカリキュラムがあるのですが、この日は折り紙アートの日でした。紙飛行機くらいしか折れない私が教えるのかと思っていたら、楽しい折り紙を教えてくれるのは別のボランティアグループの方々でした。
皆、年配の女性の方でしたが、正面でグループの紹介やら説明など全般を仕切っていたリーダーさん、どこかで見た人だと思ったら中学の同級生でした。
彼女も以前は小学校の先生をしていたのですが、退職してから折り紙のボランティアを長い間続けているのだそうです。
(ウチワにそれぞれ自分が作った折り紙を貼り付けて、最後にみんなで指導員の方に写真を撮ってもらっていました)
折り紙は朝顔、恐竜、ペンギン、イルカのテーブルに分かれていました。私は朝顔の葉っぱを折るのを手伝っただけです。根が不器用なのであまりきれいに折れません。
男の子たちは圧倒的に恐竜に集まっていました。他の子たちは朝顔、イルカ、ペンギンに分散、ペンギンが可愛くて人気がありました。
賑やかに、時には折り紙ボランティアの方に聞いたりしながら、すぐに覚えてたくさんの折り紙を折っていたのはさすがです。そしてウチワにならべて貼り付けて仕上げです。同じものを折っていても出来映えはそれぞれ個性があって感心させられました。
この教室は、他にパン作り、習字、抹茶、バルーンアートなどがあり、市内各所学区ごとに何回かに分けて開かれていました。
こちらは習字の会場で和室でした。畳の上にシートが敷かれているのは、去年、子供たちが畳に墨をこぼしてしまって、畳が総入れ替えになったからだそうです。ここで習字を書いておくと夏休みの宿題が一つ出来上がることになります。
パン作りは親と子の参加になるので大盛況だったそうですが、私はお呼びじゃないと参加しませんでした。役員さんや熱心な方はいくつもの会場に顔を出しておられたようですが、私は合計4日の参加でした。
子供たちとのふれあいは思ったより楽しかったです。とくに最後の日は抹茶、バルーンアートの日でした。抹茶教室は数名のグループに分かれていくので、残った子たちはバルーンアートや風船作りをします。
普通の風船を膨らませてその表面にビニールテープを何回かまくと、風船がボールのような弾力を持つようになります。あとはバルーン風船でネズミを作ってました。
風船を膨らませたり、ビニールテープを風船の表面に貼る作業は手伝いが必要で私でも出番が多かったです。とくに子供たちは風船の最後を結ぶのが難しかったようでよく頼まれました。冷房が効いた部屋なのに、気づくと汗をかいてしまっていました。
朝8時半から11時半までの3時間でしたが、元気で屈託のない子供たちとふれあって、この日一日中私は調子が良かった気がしました。
私たち市のボランティアの仕事はそんなに忙しいわけではありません。春には公園の花壇づくり、草刈りなどがあり、夏休みは子供教室のお手伝い、9月から年末にかけて今度は自分と同じ世代、お年寄りとのふれあいになります。
睡眠講座、フレイル講座、椅子ヨガ、リズム体操、脳トレ、お口のトレーニングなどが月ごとに12月まで各地の公民館などで開かれます。企画運営される方がたのご苦労は大変だと思います。私はこの中の一日、地元で開かれるリズム体操で会場の準備や受付などをお手伝いをする予定です。
8月の下旬、友人が役員をしている地域での夏祭り、ジャズ演奏があるからおいでというので行ってきました。私たちの地域の夏まつりより場所も広くてにぎやかでした。焼きそばやたこ焼き、かき氷などの屋台、盆踊り、音楽演奏など大々的にやっていました。
祭りの最後の演目、ジャズ演奏はコンボかと思っていたらまさかのビッグバンドで驚きました。狭いステージに17名の奏者が並んで、久し振りに生のビッグバンドの熱気と音圧を体感しました。
夏祭りで聞いたビッグバンドのリーダーさんが、自分たちはカウント・ベイシー楽団を主にコピーしているとおっしゃっていました。電子ピアノでしたがピアノの雰囲気、どこか聞いた事があると感じたのはベイシーのコピーだったからかもしれません。ビックバンドですが、独特の味わいがあるベイシーのピアノです。
祭りのあと [地域]
コロナから解放?されたゴールデンウィークが過ぎましたね。皆さんそれぞれのゴールデンウィークを過ごされたことと思います。私は毎日がゴールデンウィークなのですが、暦のゴールデンウィークはなかなか忙しかったです。散歩、写真撮影、ほとんど出来ませでした。
4月30日は宵宮、5月1日に春祭りに続いて神輿渡御が3年振りに実施されました。宵宮の朝は雨が残っていましたがそれも午前中には上がって、1日は朝から気持ちの良い青空、修復を終えた神輿をお披露目するのに絶好のお天気になりました。
神輿、出発に際して発輿祭が催されます。
保護者や役員、子供たちが集まった中、区長さんが挨拶をされています。有名なお祭りとは規模も違います。大人と子供たちで作る小さな集落のお祭りです。
私が子供の頃は青年団の人たちが太鼓神輿を担いでいました。担ぎ手たちはお酒を飲み、神輿はあっちへふらついたりこっちへ寄って来たりとよくあるお祭りの風景でした。
50年あまり前に子供神輿が新調され現在の形になりました。と言っても担ぐのは大人たちです。渡御の途中、家々から上がるお賽銭が子供会の活動資金になります。
子供神輿の出発です。参道を下って一の鳥居を潜っていきます。神輿は数年前から担ぎ手の負担を考えて台車に乗せられるようになりました。それでも舵取りは力が要るので、大人が囲み子供たちは神輿に繋がれた綱を引きます。
小学校の体育館の脇を通っています。子供たちは小学一年生から中学三年生まで100人近い参加者でした。今年の特徴は子供の参加が多く、かつ保護者たちがそれに伴って巡行にずっとついてこられたのでお祭りらしい賑わいを盛り上げてくれました。
青いジャージ姿は中学生です。今年はとくに中学生の参加が多くて、重い太鼓を代わる代わる担ぎながら歩いてくれました。
宵宮の夜から家々の軒先にはお祭りの提灯が掲げられています。
最初の休憩を過ぎると、子供たちから「どこまで行けばいいの」とまだ行程の3分の1も過ぎていないのに不平が出始めました。3年振りの巡行なので初めて参加する子供たちも多かったはずです。
元々の出だしが遅い時間、昼に差し掛かっていたのでお腹も減っていたのだろうと思います。次はお昼だよと励ますと、静まっていたかけ声が元気な「おにぎりわっしょい」の合唱に変わりました。
神輿巡行の先頭は軽トラックです。運転も太鼓叩きも集落の役員さんです。巡行は旧道を行くので車両の通行があり、消防団の人たちが交通整理してくれるのですが、有名な神輿と違って通行止めには出来ません。車通行の間たびたび停止を余儀なくされました。始め威勢が良かった子供たちも疲弊してきます。
もう少しでお昼休憩というところ、子供たちがバテていたので一緒に綱を持って励ましました。「あと少しでお昼やからね」というと、そばにいた大きな目が少し垂れ気味の女の子が、「お昼は何]と聞きます。
「おにぎりだと思う」というと、「おにぎり大好き」とかわいい笑顔です。「おにぎりは何が好き」と聞くと、「鮭が好き」隣の少し背が高い子も「鮭」と二人して大きな声で答えてくれました。そして背が高い方の子が、「梅干しだけは勘弁して欲しい」と言います。
私はどんなおにぎりが出るのか知りません。お母さんたちが握ったおにぎりなら、何が入っているかわからないので、[鮭があるといいね」とこたえておきました。
お昼休憩所、おにぎりをもらいに子供たちが集まっています。お昼休みは1時を過ぎていました。私もおにぎり2個いただきました。コンビニのおにぎりのように、袋に具の名前が書かれていたので、これなら彼女たち、鮭のおにぎりにありつけるだろうとほっとしました。
少し長めの休憩をして再出発です。もう3分の2ほどは来ています。最後の休憩地点で先ほどの女の子たちが木陰で休憩していたので、「鮭のおにぎり食べられた?」と聞くと「うん、二つ食べた。でもジュース2パックも飲んだのでお腹いっぱい」と言います。「お腹いっぱいか、そりゃ良かった」と言いました。学年は3年生、我が孫と同じでした。
中心の集落から少し離れた集落までしばらく住宅のない農免道路を行きます。神輿のまわりは田植え準備を終えた田んぼばかりになります。その間に市道、線路、旧国道があって大急ぎで渡ります。別の集落に着くといよいよ終点間近です。
このあと空が暗くなり出し、急に冷たい風が吹き出しました。全ての巡行を終え神輿が神社に帰ってきた頃、大粒の雨が降り始めましたが、幸い修復したばかりの神輿は濡れずに済みました。
神輿渡御を終えてもう10日あまり経ちました。早いものです。翌日はその日しかなかったので、畑に夏野菜を植えました。その後も孫たちとお出かけや弟一家の来訪などがあり、今週に入ってようやく普段の日々が戻って来ました。
久し振りにレコードを聞いて、昔よく聞いて好きだったアート・ファーマーの演奏を思い出しました。アルバムARTのA面2曲目に入っているGoodbye,Old Girlです。
4月30日は宵宮、5月1日に春祭りに続いて神輿渡御が3年振りに実施されました。宵宮の朝は雨が残っていましたがそれも午前中には上がって、1日は朝から気持ちの良い青空、修復を終えた神輿をお披露目するのに絶好のお天気になりました。
神輿、出発に際して発輿祭が催されます。
保護者や役員、子供たちが集まった中、区長さんが挨拶をされています。有名なお祭りとは規模も違います。大人と子供たちで作る小さな集落のお祭りです。
私が子供の頃は青年団の人たちが太鼓神輿を担いでいました。担ぎ手たちはお酒を飲み、神輿はあっちへふらついたりこっちへ寄って来たりとよくあるお祭りの風景でした。
50年あまり前に子供神輿が新調され現在の形になりました。と言っても担ぐのは大人たちです。渡御の途中、家々から上がるお賽銭が子供会の活動資金になります。
子供神輿の出発です。参道を下って一の鳥居を潜っていきます。神輿は数年前から担ぎ手の負担を考えて台車に乗せられるようになりました。それでも舵取りは力が要るので、大人が囲み子供たちは神輿に繋がれた綱を引きます。
小学校の体育館の脇を通っています。子供たちは小学一年生から中学三年生まで100人近い参加者でした。今年の特徴は子供の参加が多く、かつ保護者たちがそれに伴って巡行にずっとついてこられたのでお祭りらしい賑わいを盛り上げてくれました。
青いジャージ姿は中学生です。今年はとくに中学生の参加が多くて、重い太鼓を代わる代わる担ぎながら歩いてくれました。
宵宮の夜から家々の軒先にはお祭りの提灯が掲げられています。
最初の休憩を過ぎると、子供たちから「どこまで行けばいいの」とまだ行程の3分の1も過ぎていないのに不平が出始めました。3年振りの巡行なので初めて参加する子供たちも多かったはずです。
元々の出だしが遅い時間、昼に差し掛かっていたのでお腹も減っていたのだろうと思います。次はお昼だよと励ますと、静まっていたかけ声が元気な「おにぎりわっしょい」の合唱に変わりました。
神輿巡行の先頭は軽トラックです。運転も太鼓叩きも集落の役員さんです。巡行は旧道を行くので車両の通行があり、消防団の人たちが交通整理してくれるのですが、有名な神輿と違って通行止めには出来ません。車通行の間たびたび停止を余儀なくされました。始め威勢が良かった子供たちも疲弊してきます。
もう少しでお昼休憩というところ、子供たちがバテていたので一緒に綱を持って励ましました。「あと少しでお昼やからね」というと、そばにいた大きな目が少し垂れ気味の女の子が、「お昼は何]と聞きます。
「おにぎりだと思う」というと、「おにぎり大好き」とかわいい笑顔です。「おにぎりは何が好き」と聞くと、「鮭が好き」隣の少し背が高い子も「鮭」と二人して大きな声で答えてくれました。そして背が高い方の子が、「梅干しだけは勘弁して欲しい」と言います。
私はどんなおにぎりが出るのか知りません。お母さんたちが握ったおにぎりなら、何が入っているかわからないので、[鮭があるといいね」とこたえておきました。
お昼休憩所、おにぎりをもらいに子供たちが集まっています。お昼休みは1時を過ぎていました。私もおにぎり2個いただきました。コンビニのおにぎりのように、袋に具の名前が書かれていたので、これなら彼女たち、鮭のおにぎりにありつけるだろうとほっとしました。
少し長めの休憩をして再出発です。もう3分の2ほどは来ています。最後の休憩地点で先ほどの女の子たちが木陰で休憩していたので、「鮭のおにぎり食べられた?」と聞くと「うん、二つ食べた。でもジュース2パックも飲んだのでお腹いっぱい」と言います。「お腹いっぱいか、そりゃ良かった」と言いました。学年は3年生、我が孫と同じでした。
中心の集落から少し離れた集落までしばらく住宅のない農免道路を行きます。神輿のまわりは田植え準備を終えた田んぼばかりになります。その間に市道、線路、旧国道があって大急ぎで渡ります。別の集落に着くといよいよ終点間近です。
このあと空が暗くなり出し、急に冷たい風が吹き出しました。全ての巡行を終え神輿が神社に帰ってきた頃、大粒の雨が降り始めましたが、幸い修復したばかりの神輿は濡れずに済みました。
神輿渡御を終えてもう10日あまり経ちました。早いものです。翌日はその日しかなかったので、畑に夏野菜を植えました。その後も孫たちとお出かけや弟一家の来訪などがあり、今週に入ってようやく普段の日々が戻って来ました。
久し振りにレコードを聞いて、昔よく聞いて好きだったアート・ファーマーの演奏を思い出しました。アルバムARTのA面2曲目に入っているGoodbye,Old Girlです。