石狩川畔、矢臼場にて(北海道石狩市親船東2条2丁目)

 小樽と札幌の友人宅に居候しながら、彼らが仕事に行っている間、私は暢気にスケッチブックを持って北海道をあちらこちら歩いていました。

 そのころ私は車はおろか運転免許証も持っていなかったので、移動手段は鉄道とバス、あとは徒歩でした。どこへ行くにも札幌が起点だったように思います。

 小樽にいるときは札幌まで函館本線に乗って出ました。当時、快速エアポートはありません。鈍行で一時間ほどかかったと思います。このとき車窓に迫る石狩湾の景色が目に焼き付きました。

 上のスケッチは新十津川というところへ行った時のものです。当時、新十津川は札沼線の終着駅だったと思います。今は廃線になっていてその跡をたどるのが難しくなっています。


 新十津川駅

 新十津川駅(2020年8月)
 ネットで拝借した写真です。私が描いたスケッチと角度が違っていますが、建物は同じようです。外壁はスケッチでは板張りのように見えます。白く塗り直されたのだと思います。

 いかにも北海道らしい屋根の煙突、入り口の屋根の形などは当時の面影を残しています。駅舎は廃線後もしばらくは地元の人によって守られていましたが、2021年解体されたそうです。

 地図を見ると滝川、砂川という地名が近くにあって、かすかな記憶があります。私は新十津川駅からたぶん滝川方面のバスに乗り変えて、気に入った景色のところを見つけると途中下車しました。


 矢臼場というバス停でした。近くには石狩川が流れ、その両岸には内地では考えられない広さの畑がうねりながら広がっていました。2.3日ほど通ったと思います。これは石狩川の土手から畑を見下ろして描いたものと思います。


 近くのジャガイモ畑だと思います。

  バスの本数が少ないので、とくに帰りのバスの時間には気を使いました。毎日何もないバス停で乗り降りするので、バス運転手にいぶかしげな目を向けられたことを覚えています。



 中徳富(ナカトップ)駅 北海道樺戸郡新十津川町字弥生

 ここは全くの無人駅でした。四角くて大きい箱のような駅舎が線路脇にぽつんと建っていて回りに民家はありませんでした。

 どこからどうしてその駅に着いたのかも覚えがありません。本数の少ない列車を待つ間、私はスケッチブックを開いて時間を潰していたようです。

 貨物列車くらいは通ったかもしれませんが、ほとんど往来のない駅に取り残されるうちに日が暮れて行きました。やがて駅舎も外の景色も夕闇に閉ざされ駅舎の中は真っ暗になりました。人っ子一人現れず、遠くの民家から犬の遠吠えだけが聞こえていました。

 この絵の状況は今でも忘れられません。怖くはなかったけれど、痺れるような寂しさが辺りに漂っていました。その記憶が強かったせいかもしれません。私はこの絵の場所を道東のどこかと思い込んでいました。

 ところが今回ブログを書くに当たって、調べてみるとなんと札沼線新十津川駅のひとつ手前の駅でした。もちろん現在は、路線とともに駅も廃止されています。


 新十津川から留萌方面に行く列車があったようです。最近廃線になった留萌本線だと思います。本当は稚内を目指したかったのですが、遠すぎるのでせめて留萌に行きたいと思っていた記憶があります。

 しかし留萌に実際に行ったのかどうか記憶がありません。ただ海辺の景色は覚えています。岬と砂浜に打ち上げられた船、寂しい漁村の連なり。しかしそこが留萌だったのか増毛だったのかそれとも別の所だったのか思い出せません。


 厚田村

 スケッチブックを紐解くと少し分かってきました。どうやら私は新十津川から留萌の方に向かったのではなく、札幌方面から231号線でバスを乗り継いで留萌方面を目指したようです。 


 濃昼村

 このとき携帯したスケッチブックには漁村の描きかけの絵が何枚か見つかりました。そのスケッチの裏に、厚田村、濃昼(ゴキビル)、幌(ポロ)という地名が書かれていました。書いたのは私ですが、50年近く経つともう別人です。

 地図で見ると231号線は石狩から日本海側沿いに留萌まで北に向かって延びています。その途中に厚田村があり、さらに先に濃昼村、そしてまたその先に幌があります。



 札幌から電車かバスで石狩まで行き、そこから231号線のバスに乗って行ったのだと思います。厚田村で途中下車しています。石狩から濃昼村までは69.7キロ、Googleでは車で渋滞無しで1時間半ほどかかります。当時は路線バスなのでもっと時間かかったと思います。濃昼村から幌までは28.9キロ、車で約40分ほどだそうです。

 それでも幌から留萌にはまだかなりの距離が残っています。たぶん私は留萌を目指しながらあまりの遠さに幌あたりで引き返したのだと思います。行くよりも帰りが心配になったのでしょう。

 私は長い間、鉄道で留萌を目指したと思っていたのですが、今回調べると留萌までの日本海沿線に鉄道は走っていませんでした。


 濃昼村


 他にもスケッチに印された地名を調べてみると、え、そんなところにも行っていたのかと地図を見て驚く始末です。今から思うとずいぶん暢気で贅沢な旅をしていたものです。50年近く前の自分を辿る旅、記憶の闇を探るようです。


 あらためて北海道の路線図を見てみると、広い北海道に張り巡らされていた鉄道路線図が拍子抜けするくらい少なくなって、路線図のない白い部分が増えていることに驚かされます。

 私が旅をした50年ほど前は北海道の鉄道は4千キロあったのだそうです。それが今は2千500キロになってしまったとか、この半世紀で半分近くが廃線になったのです。驚きました。




 

 「センチメンタル・ジャーニー」をYouTubeで検索すると松本伊代さんがトップに出てきました。しかし私が旅していた頃、松本伊代さんはデビューさえしていなかったんですね。で、予定通りドリス・ディです。