私のヒーローたち [読書]

寒いけれど風も無く日差しがあって暖かく感じる朝、朝日に照らされて蒸気が猛烈に立ち上がっていました。写真は蒸気の勢いが少し収まりかけたところです。
神社のことなどでバタバタと年の瀬を過ごしている間にいつの間にかクリスマスも過ぎてしまいました。イブの前日には小学生の孫にプレゼントをせがまれて街まで一緒に買い物に行って来ました。
買い物を終えて、ショッピングセンターで普段の買い物をしていると、カップに入ったクリスマスケーキが販売されていたので二人分買ったのですが、孫に他にケーキ屋さんがあるのにと笑われてしまいました。
その夜、そのケーキを食べましたがまずさに驚きました。スポンジが少ししか無くてただ生クリームでもり上げてあるだけでした。
しかもこの生クリームがバタークリームを溶かしたような味でおいしくありません。安かったとは言え、あのようなケーキは販売するべきではありません。孫たちが笑ったとおりの結果になってしまいました。
年末の掃除と言うほどでもないですが、積んであった文庫本の山が崩れていたので直しました。手に取ってみると懐かしい本たちです。中学生の時読んだ本から、高校、20代、30代、40代・・・時々に集めたもので変色していました。それぞれに思い出があって、何度整理してもどうしても残してしまう本たちでした。その中から今日は三冊。

この手の本、どこか偏ったり抜けていたりするのですが、この本は細かな所、マニアックなところまで網羅しているのに感心します。放送された年月、テレビ局、時間帯、提供していた企業名、俳優や著者名まで調べていました。
かつて同級生や同じ年頃の仲間が集まると懐かしい漫画やテレビ番組の話で盛り上がって、尽きることがありませんでした。そんなノリで編集された本のようです。
記事とともに懐かしい写真や、漫画のイラストも豊富に掲載されています。放映されていたテレビ番組の時間が私の記憶と少し違うのは、東京と地方の違いとか、当時のテレビドラマは再放送を繰り返していましたから、私は再放送を見ていたのかも知れません。

今の大谷選手のように、今日は打った、打たなかったと熱狂し元気をもらっていた存在だったと思います。私も長嶋選手のようにサードを守りたかったのですが、うまい奴がいたのでショートを守りました。
中学生のころ王選手が片足を上げて台頭してくると、私は長嶋選手の立場を脅かす王選手が嫌いになりました。私をショートに追いやったチームメートがいつの間にか、長嶋から王ファンになっていたのには驚きショックを受けました。
野球部の同じ長嶋ファンのチームメートと、もし長嶋が巨人から他のチームに移籍したら、どちらを応援する?なんてあり得ないことを真剣に悩んだこともありました。
小学6年の時は、本気で長嶋になると言ってましたが、中学で三年間野球をしてそれがいかに難しいことか、少し分かるようになりました。
野球をやめても長嶋選手は私のヒーローでした。甲子園に1度、後楽園球場に2度ほど観戦に行きました。1974年10月14日、とうとう長嶋選手が現役を去る日が来ました。
私は後楽園球場に行けなくて、ラジオでその瞬間を聞いていました。打てなくなった長嶋選手を見るのが辛くて、三塁守備上で倒れてくれと言う思いから解放された日でもありました。
この本は図書館のリサイクル本をいただいたものです。大事典と言うだけあって、読み物では無く長嶋茂雄に関する言葉がア行から順に並べられています。
例えば「ご」の欄では「ごだせきごさんしん」と言うのがあって、有名なデビューの4打席4三振、実は翌日の試合の第一打席でも三振しているので実際はデビュー5打席5三振であることなどが書かれています。退屈時に拾い読みするのにちょうど良い本です。

お正月、満員の映画館でした。「いよっ、寅さん」と声がかかったり、寅さんの表情や台詞に映画館の観客がいっせいに爆笑、その笑い声が館内に響き渡るのに感動しました。それまで映画館でそんな体験をしたことがありませんでした。それから20代はずっと寅さんと一緒でした。
この本は映画評論家の佐藤忠男さんが執筆しています。ただ面白い、楽しいだけでなく多方面から映画「男はつらいよ」と俳優渥美清の芸を分析、評論しています。そのせいで少し堅苦しく読むのに手間取っています。
帯の文字を読むと渥美清さんが亡くなったときに買ったもののようです。もちろん一度読んでいるのですが、中身はほとんど覚えていません。
もう寅さんの新しい作品には会えませんが、私は今年の1月、u-nextの無料期間を利用して寅さんシリーズ全50作を見通しました。大変幸せな一月でした。あれからもう一年が経つのですね。
ふるさとは・・・ [地域]

遠くまで行かなくても、地元にもメタセコイヤがありました。この木が三本立っているだけで、さして特徴のないわが町がちょっとしゃれた街に見える気がするのは私だけでしょうか。
手前の田んぼは稲刈り後、一回目の耕耘を終えたところです。背後の低くなだらかに傾斜した山肌は今きれいに色づいています。残念ながら光と腕が足りずぼやけてしまっています。
田舎は十年一日のごとく変化がないと以前はよく嘆いたものでした。しかし今になって我がふるさとを俯瞰して見ると、冒頭の写真の風景ではありませんがずいぶん変わったことに気づかされます。
車がすれ違うのがやっとの旧街道は昔と同じ幅でうねっています。しかしその両脇に軒を連ねる家々の佇まいはずいぶん変わってしまいました。京町家風の家は姿を消し、今風のしゃれたデザインの家が増えてきました。
家が変われば、当然そこに住む人たちの意識も変わってきます。かつては結婚式やお葬式、村の寄り合いなどに使われた家は、今では家が持つ本来の役割、そこに暮らす人たちだけのためにあるようになりました。

氏神様の鳥居を囲むモミジがちょうど真っ赤になっていたのはもう一週間ほど前のことだったと思います。今では落ち葉が参道にすっかり散り敷いて盛り上がっています。



氏神様とこの石橋は変わりません。石橋は90年近く前に架けられたものだそうです。父ではなく祖父の時代だと思います。

最近は妻と一緒に歩くようになったので、坂の多い林道を回るコースを歩く機会が減ってしまいました。時々思い出したように一人で坂道を上がります。

山は外から見ると変わっていませんが、今の広いアスファルト舗装の林道になったのは30年ほど前のことだと思います。私が子供の頃の林道はもっと狭く入り組んでいて牛が木材を運び下ろしていました。

墓地の脇を通る道沿いにもメタセコイヤがありました。もちろん子供の頃、この辺りはもっと全体が鬱蒼としていて墓地のそばなので恐ろしいところでした。
私が覚えているふるさとは、遠い記憶の彼方でモノクロームの世界のままたたずんでいます。
ふるさとは英語でHometownだそうです。検索していたらこの曲がヒットしました。Hometown Bluesずいぶん古い演奏です。JAY McSHANNの歌声は力強いですが初めてです。演奏者の中にCharlie Parkerの名前がありました。