モズが秋を呼んでいる [日々]
朝、家の裏の桜の木にシジュウカラのつがいが来るようになりました。
久し振りにカメラを持ち出して撮って見ましたが、ちょっとピンボケです。
シジュウカラが来ると、どこからともなくイソヒヨドリの雌がやってきて
お隣の屋根の上で監視しています。
そうするとシジュウカラはいつの間にかいなくなってしまいます。
15日頃から、今年もモズの高鳴きを聞くようになってきました。
まだ姿は捉えられていません。
しきりに鳴いてからまたどこかへ飛んでいきます。
モズは一年中日本にいる留鳥ですが、毎年今頃やってきて高鳴きをします。
秋を告げにやって来るので、長い間、冬鳥と思っていました。
今年はお彼岸になっても35度越えの猛暑日が続いています。
それでもモズは9月の中旬になるとやってくるようです。
去年の記録はありませんが、一昨年のブログを見ると9月中旬からでした。
さすがに植物はこの猛暑に日を合わせきれないようです。
毎年お彼岸前にはピタリと咲き始めるヒガンバナ
今年はまだ蕾も見つけられません。
天気予報では、明日から三連休にかけてようやく猛暑が収まるようなことを言っています。
雨が降って気温が下がるとヒガンバナもいっせいに咲き始めるのではないでしょうか。
中秋の名月の翌日、お月様があまりにきれいだったので撮って見ました。
びっくりすることがあった我が家もほぼ一月近くが経って、
少しずつ日常を取り戻しつつあります。
慣れない妻との散歩はまだ時折です。
もう少し涼しくなったら回数を増やせるかも知れません。
暑すぎた今年の夏、この歌をゆっくり聴ける宵はもうすぐでしょうか。
我が家の暑い夏 [日々]
去年の今頃、妻と二人で北海道を旅しその最終日に小樽の友人が天狗山に連れて行ってくれたとき、撮った写真です。
暑さと急な妻の手術、入院で散歩が全く出来ていません。一眼どころかスマホのカメラも使えていません。あれから一ヶ月、病み上がりの妻を伴って散歩をしたいと思うのですが、残暑の厳しさにまだ実行できていません。
医大の駐車場は病院玄関から少し離れたところにあります。駐車場から病院玄関に続く舗道には日よけ雨よけのアーケードがかかっています。平日はその通路を患者や見舞いの人、病院のスタッフとおぼしき人々が大勢行き交っています。
見舞いは2時から5時まで、少し遅い時間に行くと日の光が斜めになって、日よけの影が道路側にずれてしまいます。病院玄関に入ると冷房が効いているのですが、駐車場から玄関までの道のりの暑さがけっこう堪えました。暑さに閉口しながらこの道を真冬に通ることを想像し、それはそれで厳しいだろうなと思ったりしました。
暑さと急な妻の手術、入院で散歩が全く出来ていません。一眼どころかスマホのカメラも使えていません。あれから一ヶ月、病み上がりの妻を伴って散歩をしたいと思うのですが、残暑の厳しさにまだ実行できていません。
医大の駐車場は病院玄関から少し離れたところにあります。駐車場から病院玄関に続く舗道には日よけ雨よけのアーケードがかかっています。平日はその通路を患者や見舞いの人、病院のスタッフとおぼしき人々が大勢行き交っています。
見舞いは2時から5時まで、少し遅い時間に行くと日の光が斜めになって、日よけの影が道路側にずれてしまいます。病院玄関に入ると冷房が効いているのですが、駐車場から玄関までの道のりの暑さがけっこう堪えました。暑さに閉口しながらこの道を真冬に通ることを想像し、それはそれで厳しいだろうなと思ったりしました。
妻の病は急性動脈解離(スタンフォード型A)でした。もともと体力のある人だったので、医師も驚く回復力でICU、個室を短期間に抜けて相部屋に移動していましたが、私を悩ますことがありました。
せん妄と言う脳の混乱です。手術のあとに出ることが多いそうです。普通は一週間から10日ほどで消えるそうですが、妻はいつまでたっても妙なことを口走ったり、日付や時間、場所の混乱がありました。
気に掛かることがあるとずっと同じことを言い続けたり、時間と空間の感覚が狂っていてよくとんちんかんなことを言っては、我々を悩ましたり笑わせたりしました。
ICUから個室に移動になる時、看護士さんから必要なものの連絡をいただいたとき、本人が欲しがっていると言うのでスマホを持っていったのですが、これがいろいろな問題を起こしました。
お寺のグループラインに意味不明の写真を送ったり、夜中の四時半に親しい友人に電話をしたり、息子や娘に「今、韓国にいる」とか「これから帰るから」などと電話をしたりしていました。
妻がグループラインに送った写真は冒頭の写真によく似た天狗山からの風景でした。あとで妻のスマホのフォルダを調べてみると確かにありました。
しかし、受け取ったグループラインの人たちは、手術を受けて入院しているはずの妻から突然写真が送られてきて、しかもコメントがないのでちょっとした騒ぎになったりしました。
不思議なのは、妻はラインへの写真の送り方など知らなかったはずなのに出来ていることです。妻に指摘すると、誰かが私のラインを乗っ取って送ったのだと言い張りました。慌てて電話を取り上げたこともありました。
せん妄は波があって調子の良いときはあまり出ないのですが、それでも面会中に一度か二度は会ってもいない人に会った話とか、自分の居るところがはっきり分からないようなことを言うのでした。
一度、夜の8時過ぎに興奮状態で私に電話をしてきました。まわりの人が信じられないとか、私はここに居てはいけないんだとか、私はどうなっていくのと凄く不安がるのです。
電話口でベテランらしい看護士さんがなだめてくれる声が聞こえていました。緊急手術を受けた人は皆さんそうなるのだと、一緒です、大丈夫ですと懸命に慰めてくれていました。最後は鎮静剤を処方してくれたようでした。
落ち着いたようだったので、その電話を切ろうとしましたが切れません。電話を切るボタンが見当たりません。いろいろ操作していると、なんとその電話はテレビ電話になっていて、妻の顔が大写しになっていました。
妻はテレビ電話のやり方を知らないし、顔が大きく映るので孫からかかってくるのも断わっていたくらいです。どうしてそんなことが出来たのでしょう。
見舞いに行っても、調子の良い日もあれば調子の悪い日もあって、ある日、凄く調子が悪くて笑顔がありません。私の顔をしっかり見ようともしません。これは入院長引きそうだとがっかりして帰りました。
ところがその翌日、医師から退院の連絡がありました。まだせん妄があると医師に訴えると、それは病院という環境が良くないからと言うことで、退院日が決りました。
退院の時、担当の看護士からは薬と血圧の管理、傷口の手当て、そして見守りまで言われました。夜中に徘徊の可能性もあるというのです。退院の安堵も吹っ飛ぶ気の重さでした。介護認定を受けることを奨めてくれる人もありました。
退院日は、息子が付き合ってくれて私の車で帰りました。それからもう2週間になりますが、医師の言ったとおり家に帰るとせん妄はすっかり姿を消しました。時々記憶が混乱することがあるようですが、それは物忘れ程度でせん妄と言うほどではありません。
もちろん、まだ身体のあちこちが痛いと言ったり、細かなことが出来なかったりと万全ではありませんが、少しずつ家事にも立つようになりました。人と会うと以前と変わらなく振る舞いますが、後でひどく疲れるようです。やはり自然と無理してしまうようです。
入院中の妻の逸話は枚挙にいとまがありません。ある日、面会に行くと担当の看護士さんが私に真っ先に言いました。「昨夜、奥さん床で寝ていたんですよ」と。その夜担当した看護士さんは足下に顔があって驚かれたそうです。もちろんベッドから落ちたわけではないと付け足してくれました。
また、これはせん妄とは違いますが、妻は手足は何ともないのでリハビリはいつもバイクを漕いでいたそうです。担当の看護士さんが言うには、それで20キロ漕いだのだそうです。20キロというと、我が家から医大までの距離にほぼ匹敵します。とても4.5時間の血管の手術を受けたばかりの人とは思えない驚きの体力です。
皆が知っているせん妄の混乱振りを妻はほとんど覚えていません。一時はどうなることかと心細い思いをしたこともありましたが、今はそんなことが笑い話に思える日が近づきつつある気がしているこの頃です。
せん妄と言う脳の混乱です。手術のあとに出ることが多いそうです。普通は一週間から10日ほどで消えるそうですが、妻はいつまでたっても妙なことを口走ったり、日付や時間、場所の混乱がありました。
気に掛かることがあるとずっと同じことを言い続けたり、時間と空間の感覚が狂っていてよくとんちんかんなことを言っては、我々を悩ましたり笑わせたりしました。
ICUから個室に移動になる時、看護士さんから必要なものの連絡をいただいたとき、本人が欲しがっていると言うのでスマホを持っていったのですが、これがいろいろな問題を起こしました。
お寺のグループラインに意味不明の写真を送ったり、夜中の四時半に親しい友人に電話をしたり、息子や娘に「今、韓国にいる」とか「これから帰るから」などと電話をしたりしていました。
妻がグループラインに送った写真は冒頭の写真によく似た天狗山からの風景でした。あとで妻のスマホのフォルダを調べてみると確かにありました。
しかし、受け取ったグループラインの人たちは、手術を受けて入院しているはずの妻から突然写真が送られてきて、しかもコメントがないのでちょっとした騒ぎになったりしました。
不思議なのは、妻はラインへの写真の送り方など知らなかったはずなのに出来ていることです。妻に指摘すると、誰かが私のラインを乗っ取って送ったのだと言い張りました。慌てて電話を取り上げたこともありました。
せん妄は波があって調子の良いときはあまり出ないのですが、それでも面会中に一度か二度は会ってもいない人に会った話とか、自分の居るところがはっきり分からないようなことを言うのでした。
一度、夜の8時過ぎに興奮状態で私に電話をしてきました。まわりの人が信じられないとか、私はここに居てはいけないんだとか、私はどうなっていくのと凄く不安がるのです。
電話口でベテランらしい看護士さんがなだめてくれる声が聞こえていました。緊急手術を受けた人は皆さんそうなるのだと、一緒です、大丈夫ですと懸命に慰めてくれていました。最後は鎮静剤を処方してくれたようでした。
落ち着いたようだったので、その電話を切ろうとしましたが切れません。電話を切るボタンが見当たりません。いろいろ操作していると、なんとその電話はテレビ電話になっていて、妻の顔が大写しになっていました。
妻はテレビ電話のやり方を知らないし、顔が大きく映るので孫からかかってくるのも断わっていたくらいです。どうしてそんなことが出来たのでしょう。
見舞いに行っても、調子の良い日もあれば調子の悪い日もあって、ある日、凄く調子が悪くて笑顔がありません。私の顔をしっかり見ようともしません。これは入院長引きそうだとがっかりして帰りました。
ところがその翌日、医師から退院の連絡がありました。まだせん妄があると医師に訴えると、それは病院という環境が良くないからと言うことで、退院日が決りました。
退院の時、担当の看護士からは薬と血圧の管理、傷口の手当て、そして見守りまで言われました。夜中に徘徊の可能性もあるというのです。退院の安堵も吹っ飛ぶ気の重さでした。介護認定を受けることを奨めてくれる人もありました。
退院日は、息子が付き合ってくれて私の車で帰りました。それからもう2週間になりますが、医師の言ったとおり家に帰るとせん妄はすっかり姿を消しました。時々記憶が混乱することがあるようですが、それは物忘れ程度でせん妄と言うほどではありません。
もちろん、まだ身体のあちこちが痛いと言ったり、細かなことが出来なかったりと万全ではありませんが、少しずつ家事にも立つようになりました。人と会うと以前と変わらなく振る舞いますが、後でひどく疲れるようです。やはり自然と無理してしまうようです。
入院中の妻の逸話は枚挙にいとまがありません。ある日、面会に行くと担当の看護士さんが私に真っ先に言いました。「昨夜、奥さん床で寝ていたんですよ」と。その夜担当した看護士さんは足下に顔があって驚かれたそうです。もちろんベッドから落ちたわけではないと付け足してくれました。
また、これはせん妄とは違いますが、妻は手足は何ともないのでリハビリはいつもバイクを漕いでいたそうです。担当の看護士さんが言うには、それで20キロ漕いだのだそうです。20キロというと、我が家から医大までの距離にほぼ匹敵します。とても4.5時間の血管の手術を受けたばかりの人とは思えない驚きの体力です。
皆が知っているせん妄の混乱振りを妻はほとんど覚えていません。一時はどうなることかと心細い思いをしたこともありましたが、今はそんなことが笑い話に思える日が近づきつつある気がしているこの頃です。