見舞いの帰りに書店に寄る [日々]
毎日暑い日が続いています、と二週間前と同じフレーズになってしまいました。その間にオリンピックに高校野球も始まりだしました。オリンピックが終わり優勝校が決まるころは、少し暑さも収まっているのでしょうか。
昨日と今日は宮崎と神奈川で大きな地震がありました。該当される地域の方は不安な夜を過ごされていることと思います。被害が少ないことを祈ります。
昨日と今日は宮崎と神奈川で大きな地震がありました。該当される地域の方は不安な夜を過ごされていることと思います。被害が少ないことを祈ります。
妻が8月4日、お寺でお墓参りのお勤め中に急に背中の激しい痛みを訴え倒れました。すぐに救急車で近くの病院へ行き、検査してもらったところ動脈剥離の疑いがあるということで、更に県立医科大学付属病院へ救急搬送され緊急手術を受けることになりました。
ちょうど日曜だったので、息子も駆けつけてくれました。医療スタッフからは生存率50%のうえ合併症の可能性を説明され、何枚もの同意書にサインさせられました。
夜8時、手術が終わり成功したことを医師から告げられました。ICUで面会した妻は当然眠っていて、顔から首にかけてバンバンに腫れていて人はこんなに腫れられるものかと思いました。息子は、誰かわからずヘアースタイルで確認できたと言ってました。
医師からは手術が成功したということだけで、先のことはわからない。これからは合併症との戦いですと言われ、安心感より不安な気持ちが強いまま息子と病院を後にしました。
翌日からは娘と見舞いに行きました。娘は医大病院まで運転できないというので私の車で一緒に行きました。妻はICUで昨日と同じように顔を腫らして眠っていました。人工呼吸器が繋がれ、いろいろな機器や管が妻の体につながっていて、ICUに入るのが初めての娘は怖いと言っていました。
看護師さんの話によると、今朝目覚めたそうです。その時「手術が終わりましたよ」と言うと、妻は驚いていたそうです。今は眠ったままですが、一度目覚めたのは良い知らせでした。
次の日も娘と行きました。相変わらずICUで眠ったままですが、目元あたりの腫れが少し引き、顔色にも赤みが戻っているように見えました。この日担当の看護師さんに順調ですかと聞くと、先生から電話がなければ順調ですと、やや愛想ない返事でした。
3日目、娘は仕事なので一人で見舞いに行きました。手続きをしてICUに入ると、カーテンの向こうで妻が上体を起こして座っているのが見えました。思わずおおっと手を上げました。
少し喋りにくそうでしたが、「私どうなったん」と言います。お寺で倒れたときのことを言うと、あああの時かと言いましたが、その後救急車で病院へ向かったこと、そこで検査を受けたことなど記憶がないそうです。救急車でも病院でも喋っていたのに。
妻は自慢そうに患者衣の胸を開いて傷跡を見せました。医師から胸骨を開いてやる手術と聞いていたので「わかっているからもうしまっておいて」と言うのにいつまでも開いていて、私が患者衣の胸を閉じました。
いくつもの管の繋がった手をしきりに動かしていました。外れるからと諫めると、看護師さんが昨日からリハビリが始まっているのだと教えてくれました。小柄で可愛い愛想のよい看護師さんでした。
息子や娘の話などをして、家は僕が見ているからと言うと、それが一番心配やと相変わらず口の悪さも健在でした。ま、それだけ喋れればいいかと安心してICUを出ました。
久しぶりに妻と話せて、ほっとしました。車で病院を出るとき、このままいつものようにまっ直ぐ帰るのも惜しい気がして、近くのショッピングセンターへ行ってみることにしました。そこにはお気に入りの書店があるのです。
久しぶりの書店です。こんな時は、何か良い本に巡り合いたいと思いながら、書棚の間を歩きまわりましたが、なかなかこれと言った本に出会えません。あきらめかけたとき、長田弘「すべてきみに宛てた手紙」の文庫本が目に飛び込んできて迷わず手にしました。
妻が倒れて今日で6日目になります。緊急手術を受けた8月4日には今度の金曜日、ブログアップできそうもないなと思っていました。医師が驚く回復力で、昨日はICUを出て一般病棟に移っていました。合併症もなく今のところ順調に見えますが、大きな手術、何があるかわかりません。
私がいないことはあっても妻がいない家は初めてのこと。簡単に思っていた家事もやってみるとなかなか見ているようなわけにも行きません。
時間も取られますし、なんでも妻に任せきりだったので何がどこにあるかどうしたら良いかわからないことが多いです。息子や娘に教わりながらなんとかこなしています。まだまだ私に勉強しなさいということだと思っています。
そのようなわけで、皆さんのところへの訪問も滞っています。ご容赦ご理解ください。ブログ更新も次に何か良い報告ができる日が来たら、真っ先にお知らせしたいと思います。
仕事に行かなくなって、妻を乗せて走ることが多くなりました。うるさがられるのでカーステのボリュームを絞っていることが多いのですが、今は一人、病院の行き帰りの道のりは40分ほどあるのでボリュームを上げて一人コンサートを楽しんでいます。
ちょうど日曜だったので、息子も駆けつけてくれました。医療スタッフからは生存率50%のうえ合併症の可能性を説明され、何枚もの同意書にサインさせられました。
夜8時、手術が終わり成功したことを医師から告げられました。ICUで面会した妻は当然眠っていて、顔から首にかけてバンバンに腫れていて人はこんなに腫れられるものかと思いました。息子は、誰かわからずヘアースタイルで確認できたと言ってました。
医師からは手術が成功したということだけで、先のことはわからない。これからは合併症との戦いですと言われ、安心感より不安な気持ちが強いまま息子と病院を後にしました。
翌日からは娘と見舞いに行きました。娘は医大病院まで運転できないというので私の車で一緒に行きました。妻はICUで昨日と同じように顔を腫らして眠っていました。人工呼吸器が繋がれ、いろいろな機器や管が妻の体につながっていて、ICUに入るのが初めての娘は怖いと言っていました。
看護師さんの話によると、今朝目覚めたそうです。その時「手術が終わりましたよ」と言うと、妻は驚いていたそうです。今は眠ったままですが、一度目覚めたのは良い知らせでした。
次の日も娘と行きました。相変わらずICUで眠ったままですが、目元あたりの腫れが少し引き、顔色にも赤みが戻っているように見えました。この日担当の看護師さんに順調ですかと聞くと、先生から電話がなければ順調ですと、やや愛想ない返事でした。
3日目、娘は仕事なので一人で見舞いに行きました。手続きをしてICUに入ると、カーテンの向こうで妻が上体を起こして座っているのが見えました。思わずおおっと手を上げました。
少し喋りにくそうでしたが、「私どうなったん」と言います。お寺で倒れたときのことを言うと、あああの時かと言いましたが、その後救急車で病院へ向かったこと、そこで検査を受けたことなど記憶がないそうです。救急車でも病院でも喋っていたのに。
妻は自慢そうに患者衣の胸を開いて傷跡を見せました。医師から胸骨を開いてやる手術と聞いていたので「わかっているからもうしまっておいて」と言うのにいつまでも開いていて、私が患者衣の胸を閉じました。
いくつもの管の繋がった手をしきりに動かしていました。外れるからと諫めると、看護師さんが昨日からリハビリが始まっているのだと教えてくれました。小柄で可愛い愛想のよい看護師さんでした。
息子や娘の話などをして、家は僕が見ているからと言うと、それが一番心配やと相変わらず口の悪さも健在でした。ま、それだけ喋れればいいかと安心してICUを出ました。
久しぶりに妻と話せて、ほっとしました。車で病院を出るとき、このままいつものようにまっ直ぐ帰るのも惜しい気がして、近くのショッピングセンターへ行ってみることにしました。そこにはお気に入りの書店があるのです。
久しぶりの書店です。こんな時は、何か良い本に巡り合いたいと思いながら、書棚の間を歩きまわりましたが、なかなかこれと言った本に出会えません。あきらめかけたとき、長田弘「すべてきみに宛てた手紙」の文庫本が目に飛び込んできて迷わず手にしました。
妻が倒れて今日で6日目になります。緊急手術を受けた8月4日には今度の金曜日、ブログアップできそうもないなと思っていました。医師が驚く回復力で、昨日はICUを出て一般病棟に移っていました。合併症もなく今のところ順調に見えますが、大きな手術、何があるかわかりません。
私がいないことはあっても妻がいない家は初めてのこと。簡単に思っていた家事もやってみるとなかなか見ているようなわけにも行きません。
時間も取られますし、なんでも妻に任せきりだったので何がどこにあるかどうしたら良いかわからないことが多いです。息子や娘に教わりながらなんとかこなしています。まだまだ私に勉強しなさいということだと思っています。
そのようなわけで、皆さんのところへの訪問も滞っています。ご容赦ご理解ください。ブログ更新も次に何か良い報告ができる日が来たら、真っ先にお知らせしたいと思います。
仕事に行かなくなって、妻を乗せて走ることが多くなりました。うるさがられるのでカーステのボリュームを絞っていることが多いのですが、今は一人、病院の行き帰りの道のりは40分ほどあるのでボリュームを上げて一人コンサートを楽しんでいます。