10年ぶりのOB会 [日々]

大きな夕焼けでした。カメラを持って田んぼの方に出るともっと大きな写真が撮れたのでしょうが、家の裏からスマホのカメラでズボラしました。(消しゴムマジックで邪魔な電信柱と電線を消しています)

昨日の朝、いつも通り畑に出るとナスの葉っぱにアオガエル
今年は忙しくて、夏野菜を植えたのはいつもより一週間ほど遅いゴールデンウィーク明けでした。そのせいか、それとも気候のせいか、例年に比べると育ちが遅いように感じています。
ナスやキュウリはぼちぼち採れ始めています。トマトはミニが二つ、中玉一つで大玉は、実は成っていますがまだ小さくて青いです。ピーマン、オクラなどもまだまだです。
Googleフォトが過去のよく似た写真を出してくれます。それを見ると、今頃はもうトマトもキュウリもナスもたくさん採れている年があります。
6月中頃でしたか今年も真夏日の暑い日がありました。でも去年の5月や6月に比べると気温が低い気がします。3月ころから雨も多く、今年は例年になく玉ねぎやジャガイモの出来が良くありませんでした。
久し振りにカメラを持って歩いた日。季節ですね、ネジバナが草むらに咲いていました。
お寺でギボウシ、去年も撮りました。
もうひと月あまり前のことです。久し振りに古い仲間達と会うことが出来ました。私が20代の終わりの頃から52歳まで働いた職場の仲間達です。OB会と言ってもこの会社は20年前に潰れているので全員がOBです。
職場は今は絶滅危惧種になりそうな町の本屋さんでした。支店がいくつかあって、私が入社した頃は県内で一番の書店グループでした。
街が再開発されたり、他県資本のお店やナショナルチェーンのお店の進出で少しずつ立場を弱めていきました。今ほど書店、出版不況ではありませんでしたが郊外型の書店が流行っていた頃です。
焦った経営者が無理な拡大路線に走ったあげく、多大な負債を背負って会社は倒産してしまいました。経営は同族の方達だったので、彼らと私たち従業員の仲はあまり良くなくて、反対に従業員同士は仲が良かったものです。
よく社員旅行に行ったり、食事会や飲み会を開いたりしていました。今回集まったのもその頃の中心メンバーです。倒産後も毎年というわけではありませんがよく集まっていました。
ちょうど会社がなくなって10年目に集まった時、次は5年後くらいにしようと言い合ってました。ところが5年、6年と経って、いよいよ今年こそはというときにコロナが流行ってしまいました。
そうして瞬く間に10年が経ってしまいました。誰が言うでもなくなんとなく私が動かないと始まらない雰囲気になっていました。
往復はがきを用意するほどでもないので、電話で済ますことにしました。総勢16名ほどです。そのうちの3分の2は女性で私より高齢の方が5名ほどおられます。
皆さん携帯電話をお持ちなのでそちらに電話すると、何人かの人が応答ありません。それで仕方なく固定電話にかけてみると、すぐに出られたので笑ってしまいました。
連絡だけするつもりだったのに、当日話すことがなくなってしまうのではないかと思うほど、お喋りをされる方が多かったです。
皆さんお元気かどうか恐る恐るの電話でした。ご本人が出られて、会の開催を知らせると一様に喜んでくださったので、嬉しくほっとしました。皆さん、待ちわびておられたようです。
いよいよ当日、10年振りにお会いした皆さんの印象は、もちろん私も含めてですが、それなりに歳月を感じさせました。それでも最高齢の90歳と88歳になるお二人が変わらずお元気だったのには驚きました。
不参加者は3名でした。中でも先輩男性のお一人が数年前に脳梗塞で倒れられて今回出席出来なかったのは残念で、もう少し早く開いていたらと思いました。
近況を話し合ったり、昔話をしたりして和気藹々の時間、皆さんの笑顔が懐かしかったです。一次会だけでは話足りず、近くの喫茶店に入ってのお喋りは夕方近くまで続きました。
私は皆さんとお話しするのに忙しく席を温める間もなく動き回っていました。ゆっくり座っておしゃべりできたのは二次会になってからでした。
店の様子や料理などの写真を撮り忘れました。お店の方がサービスで全員の写真を撮ってくれたのですが、それも会計をしている間に忘れてきたらしくまだ受け取りに行っていません。
次回も10年後というわけにもいかず、安否確認のためにも一年に一回は集まろうと言う話が出ていました。さてどうなることか。
いつの間にか田んぼは青々として、アオサギやシラサギの餌の狩り場になっています。この間営農の草刈に出たとき、畦にトビが二羽いて驚きました。すぐに飛び立ちましたが近くで見るとかなり大きいですね。
トビたちは何か情報交換でもしていたのでしょうか。草刈をしていると畦に鶏卵Mサイズくらいの卵が一個、殻を破られて落ちていました。今の時期だとケリの卵かも知れません。
今日は朝から土砂降りの雨です。毎日どんよりした梅雨空が続いています。歌だけでもBlue Skiesと行きたいです。歌うのは正統派ジャズシンガーと言われるNicole Henryです。
旅の記憶(4) 札幌 [旅]

梅雨を通り越していきなり夏の暑さのここ数日です。湿度も高くなんとなく体がだるく感じます。身体がまだ暑さに慣れていないせいでしょうか、季節が順番通りでないので身体も頭も適応出来ていないのでしょうか。
いろいろなことが少しずつ片付いて、余裕が取れるようになってきました。中断していた「旅の追憶」の続きです。上の絵は札幌、大通公園をスケッチしたものだと思います。
居候の旅、いつもあてもなく電車やバスに乗って、北海道の地を巡っていたわでもありません。貧乏旅でしたから、遠出しないで札幌や小樽の街を歩き回る日も多かったです。
札幌は大都会でした。メインストリートは高いビルが立ち並び、洗練されていて東京の銀座や日本橋などと引けを取らないように見えました。
有名な時計台や羊ヶ丘展望台はすでに連れて行ってもらっていたので、円山公園や友人の住む琴似などを見て歩きました。
円山公園は広すぎて、間違えて近くの墓地の周囲を歩いたりしていました。琴似には、屯田兵の資料館などがある公園のような一角があって、中をのぞいたりベンチで休憩したりしました。
北大にも行きました。塀を巡らせた大学ではないので勝手に入ったり、有名なポプラ並木を歩いたりしました。何枚かスケッチしましたが、ポプラ並木案外難しくて絵になりませんでした。
また、この頃は東京でジャズ喫茶巡りをしていたので札幌でもいくつかジャズ喫茶や音楽喫茶を探して歩きました。



その時訪ねたジャズ喫茶のマッチです。かさばるのでマッチ箱を開いて画像として残しています。この中の三番目の「ジャマイカ」は札幌で老舗の有名なお店だったようです。マッチには(東映地下)と印されています。このあと別の場所に移転したそうです。ネットで調べると今も健在のようです。

季刊ジャズ批評別冊「ジャズ日本列島」の札幌のページに当時の地図があります。あの頃、札幌にはこんなにたくさんのジャズ喫茶があったのですね。今はどれくらいあるのでしょう。
資料を基に過去をたどるだけでもうほとんど記憶に残っていません。ジャズ喫茶、もっと行ったけれどマッチが手に入らなかったのか、3軒だけだったのか。それぞれのお店はどんな雰囲気だったのかほとんど覚えていません。
ただ一軒、はっきり覚えているお店があります。名前は忘れましたが、街外れの殺風景な通り沿いにありました。扉を開けると一瞬、頭上から冷たいミストが吹き付けました。いきなり階段が始まってお店は二階にありました。
その日は札幌でも暑い日でした。ジャズ喫茶には珍しく店内は明るく窓が通りに面して開かれていました。ただ涼しかったのは入り口のミスドだけ、店内には冷房がなくて汗を掻きながら音楽を聞いた思い出があります。当時は札幌でも小さなお店はエアコンがないところが多かったようです。

これは小樽のジャズ喫茶です。どの辺にあったのかもう記憶はありません。また、「ジャズ日本列島」にも載っていません。

このお店は、札幌から電車で一時間ほどのところにある岩見沢と言う街にありました。わざわざそのためだけに岩見沢まで行ったように思います。その割に街の様子もお店の印象もほとんど残っていません。小さな一軒屋だったような気がします。
「ジャズ日本列島」によると当時札幌のジャズ喫茶、コーヒー代は250円~300円が相場だったようです。東京と同じか一割ほど安い気がしました。



電車や地下鉄で相客をスケッチしてました。今なら盗撮ですかね。
持っているレコードの大半は20代の頃に集めたものです。それ以降に買ったレコードに比べると聞いた回数も多く思い入れもあって愛着が深いです。ただこのレコードは、後年買ったレコードの中ではお気に入りの一枚です。
Lou DonaldsonのBlues Walk YouTubeの画面には帯が付いていますが、私が買ったのはブルーノートの復刻輸入盤なので帯も日本語ライナノートもありません。ジャケットもいいですね。
ちょうどJBLの4312Dというスピーカーを買った頃でした。Lou Donaldsonのアルトサックもさることながら、30センチウーハーが奏でるコンガの弾む音に感動したものです。