我が家の暑い夏 [日々]
去年の今頃、妻と二人で北海道を旅しその最終日に小樽の友人が天狗山に連れて行ってくれたとき、撮った写真です。
暑さと急な妻の手術、入院で散歩が全く出来ていません。一眼どころかスマホのカメラも使えていません。あれから一ヶ月、病み上がりの妻を伴って散歩をしたいと思うのですが、残暑の厳しさにまだ実行できていません。
医大の駐車場は病院玄関から少し離れたところにあります。駐車場から病院玄関に続く舗道には日よけ雨よけのアーケードがかかっています。平日はその通路を患者や見舞いの人、病院のスタッフとおぼしき人々が大勢行き交っています。
見舞いは2時から5時まで、少し遅い時間に行くと日の光が斜めになって、日よけの影が道路側にずれてしまいます。病院玄関に入ると冷房が効いているのですが、駐車場から玄関までの道のりの暑さがけっこう堪えました。暑さに閉口しながらこの道を真冬に通ることを想像し、それはそれで厳しいだろうなと思ったりしました。
暑さと急な妻の手術、入院で散歩が全く出来ていません。一眼どころかスマホのカメラも使えていません。あれから一ヶ月、病み上がりの妻を伴って散歩をしたいと思うのですが、残暑の厳しさにまだ実行できていません。
医大の駐車場は病院玄関から少し離れたところにあります。駐車場から病院玄関に続く舗道には日よけ雨よけのアーケードがかかっています。平日はその通路を患者や見舞いの人、病院のスタッフとおぼしき人々が大勢行き交っています。
見舞いは2時から5時まで、少し遅い時間に行くと日の光が斜めになって、日よけの影が道路側にずれてしまいます。病院玄関に入ると冷房が効いているのですが、駐車場から玄関までの道のりの暑さがけっこう堪えました。暑さに閉口しながらこの道を真冬に通ることを想像し、それはそれで厳しいだろうなと思ったりしました。
妻の病は急性動脈解離(スタンフォード型A)でした。もともと体力のある人だったので、医師も驚く回復力でICU、個室を短期間に抜けて相部屋に移動していましたが、私を悩ますことがありました。
せん妄と言う脳の混乱です。手術のあとに出ることが多いそうです。普通は一週間から10日ほどで消えるそうですが、妻はいつまでたっても妙なことを口走ったり、日付や時間、場所の混乱がありました。
気に掛かることがあるとずっと同じことを言い続けたり、時間と空間の感覚が狂っていてよくとんちんかんなことを言っては、我々を悩ましたり笑わせたりしました。
ICUから個室に移動になる時、看護士さんから必要なものの連絡をいただいたとき、本人が欲しがっていると言うのでスマホを持っていったのですが、これがいろいろな問題を起こしました。
お寺のグループラインに意味不明の写真を送ったり、夜中の四時半に親しい友人に電話をしたり、息子や娘に「今、韓国にいる」とか「これから帰るから」などと電話をしたりしていました。
妻がグループラインに送った写真は冒頭の写真によく似た天狗山からの風景でした。あとで妻のスマホのフォルダを調べてみると確かにありました。
しかし、受け取ったグループラインの人たちは、手術を受けて入院しているはずの妻から突然写真が送られてきて、しかもコメントがないのでちょっとした騒ぎになったりしました。
不思議なのは、妻はラインへの写真の送り方など知らなかったはずなのに出来ていることです。妻に指摘すると、誰かが私のラインを乗っ取って送ったのだと言い張りました。慌てて電話を取り上げたこともありました。
せん妄は波があって調子の良いときはあまり出ないのですが、それでも面会中に一度か二度は会ってもいない人に会った話とか、自分の居るところがはっきり分からないようなことを言うのでした。
一度、夜の8時過ぎに興奮状態で私に電話をしてきました。まわりの人が信じられないとか、私はここに居てはいけないんだとか、私はどうなっていくのと凄く不安がるのです。
電話口でベテランらしい看護士さんがなだめてくれる声が聞こえていました。緊急手術を受けた人は皆さんそうなるのだと、一緒です、大丈夫ですと懸命に慰めてくれていました。最後は鎮静剤を処方してくれたようでした。
落ち着いたようだったので、その電話を切ろうとしましたが切れません。電話を切るボタンが見当たりません。いろいろ操作していると、なんとその電話はテレビ電話になっていて、妻の顔が大写しになっていました。
妻はテレビ電話のやり方を知らないし、顔が大きく映るので孫からかかってくるのも断わっていたくらいです。どうしてそんなことが出来たのでしょう。
見舞いに行っても、調子の良い日もあれば調子の悪い日もあって、ある日、凄く調子が悪くて笑顔がありません。私の顔をしっかり見ようともしません。これは入院長引きそうだとがっかりして帰りました。
ところがその翌日、医師から退院の連絡がありました。まだせん妄があると医師に訴えると、それは病院という環境が良くないからと言うことで、退院日が決りました。
退院の時、担当の看護士からは薬と血圧の管理、傷口の手当て、そして見守りまで言われました。夜中に徘徊の可能性もあるというのです。退院の安堵も吹っ飛ぶ気の重さでした。介護認定を受けることを奨めてくれる人もありました。
退院日は、息子が付き合ってくれて私の車で帰りました。それからもう2週間になりますが、医師の言ったとおり家に帰るとせん妄はすっかり姿を消しました。時々記憶が混乱することがあるようですが、それは物忘れ程度でせん妄と言うほどではありません。
もちろん、まだ身体のあちこちが痛いと言ったり、細かなことが出来なかったりと万全ではありませんが、少しずつ家事にも立つようになりました。人と会うと以前と変わらなく振る舞いますが、後でひどく疲れるようです。やはり自然と無理してしまうようです。
入院中の妻の逸話は枚挙にいとまがありません。ある日、面会に行くと担当の看護士さんが私に真っ先に言いました。「昨夜、奥さん床で寝ていたんですよ」と。その夜担当した看護士さんは足下に顔があって驚かれたそうです。もちろんベッドから落ちたわけではないと付け足してくれました。
また、これはせん妄とは違いますが、妻は手足は何ともないのでリハビリはいつもバイクを漕いでいたそうです。担当の看護士さんが言うには、それで20キロ漕いだのだそうです。20キロというと、我が家から医大までの距離にほぼ匹敵します。とても4.5時間の血管の手術を受けたばかりの人とは思えない驚きの体力です。
皆が知っているせん妄の混乱振りを妻はほとんど覚えていません。一時はどうなることかと心細い思いをしたこともありましたが、今はそんなことが笑い話に思える日が近づきつつある気がしているこの頃です。
せん妄と言う脳の混乱です。手術のあとに出ることが多いそうです。普通は一週間から10日ほどで消えるそうですが、妻はいつまでたっても妙なことを口走ったり、日付や時間、場所の混乱がありました。
気に掛かることがあるとずっと同じことを言い続けたり、時間と空間の感覚が狂っていてよくとんちんかんなことを言っては、我々を悩ましたり笑わせたりしました。
ICUから個室に移動になる時、看護士さんから必要なものの連絡をいただいたとき、本人が欲しがっていると言うのでスマホを持っていったのですが、これがいろいろな問題を起こしました。
お寺のグループラインに意味不明の写真を送ったり、夜中の四時半に親しい友人に電話をしたり、息子や娘に「今、韓国にいる」とか「これから帰るから」などと電話をしたりしていました。
妻がグループラインに送った写真は冒頭の写真によく似た天狗山からの風景でした。あとで妻のスマホのフォルダを調べてみると確かにありました。
しかし、受け取ったグループラインの人たちは、手術を受けて入院しているはずの妻から突然写真が送られてきて、しかもコメントがないのでちょっとした騒ぎになったりしました。
不思議なのは、妻はラインへの写真の送り方など知らなかったはずなのに出来ていることです。妻に指摘すると、誰かが私のラインを乗っ取って送ったのだと言い張りました。慌てて電話を取り上げたこともありました。
せん妄は波があって調子の良いときはあまり出ないのですが、それでも面会中に一度か二度は会ってもいない人に会った話とか、自分の居るところがはっきり分からないようなことを言うのでした。
一度、夜の8時過ぎに興奮状態で私に電話をしてきました。まわりの人が信じられないとか、私はここに居てはいけないんだとか、私はどうなっていくのと凄く不安がるのです。
電話口でベテランらしい看護士さんがなだめてくれる声が聞こえていました。緊急手術を受けた人は皆さんそうなるのだと、一緒です、大丈夫ですと懸命に慰めてくれていました。最後は鎮静剤を処方してくれたようでした。
落ち着いたようだったので、その電話を切ろうとしましたが切れません。電話を切るボタンが見当たりません。いろいろ操作していると、なんとその電話はテレビ電話になっていて、妻の顔が大写しになっていました。
妻はテレビ電話のやり方を知らないし、顔が大きく映るので孫からかかってくるのも断わっていたくらいです。どうしてそんなことが出来たのでしょう。
見舞いに行っても、調子の良い日もあれば調子の悪い日もあって、ある日、凄く調子が悪くて笑顔がありません。私の顔をしっかり見ようともしません。これは入院長引きそうだとがっかりして帰りました。
ところがその翌日、医師から退院の連絡がありました。まだせん妄があると医師に訴えると、それは病院という環境が良くないからと言うことで、退院日が決りました。
退院の時、担当の看護士からは薬と血圧の管理、傷口の手当て、そして見守りまで言われました。夜中に徘徊の可能性もあるというのです。退院の安堵も吹っ飛ぶ気の重さでした。介護認定を受けることを奨めてくれる人もありました。
退院日は、息子が付き合ってくれて私の車で帰りました。それからもう2週間になりますが、医師の言ったとおり家に帰るとせん妄はすっかり姿を消しました。時々記憶が混乱することがあるようですが、それは物忘れ程度でせん妄と言うほどではありません。
もちろん、まだ身体のあちこちが痛いと言ったり、細かなことが出来なかったりと万全ではありませんが、少しずつ家事にも立つようになりました。人と会うと以前と変わらなく振る舞いますが、後でひどく疲れるようです。やはり自然と無理してしまうようです。
入院中の妻の逸話は枚挙にいとまがありません。ある日、面会に行くと担当の看護士さんが私に真っ先に言いました。「昨夜、奥さん床で寝ていたんですよ」と。その夜担当した看護士さんは足下に顔があって驚かれたそうです。もちろんベッドから落ちたわけではないと付け足してくれました。
また、これはせん妄とは違いますが、妻は手足は何ともないのでリハビリはいつもバイクを漕いでいたそうです。担当の看護士さんが言うには、それで20キロ漕いだのだそうです。20キロというと、我が家から医大までの距離にほぼ匹敵します。とても4.5時間の血管の手術を受けたばかりの人とは思えない驚きの体力です。
皆が知っているせん妄の混乱振りを妻はほとんど覚えていません。一時はどうなることかと心細い思いをしたこともありましたが、今はそんなことが笑い話に思える日が近づきつつある気がしているこの頃です。
2024-09-06 20:56
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コメント(28)
大変でしたね。ご無事に退院できて良かったですね。
せん妄は不安と環境変化の影響だったのでしょう。
笑い話になって一安心です。
by 爛漫亭 (2024-09-06 22:59)
私の親も 一時せん妄や幻視があったり大変でしたが
今は落ち着いて来て同じようにその時のことを覚えていないんですね。
私の親は 薬や入院時の環境(コロナ期と重なったり)の影響で
コントロールに波がありました。今はその薬も飲まなくなりました。
しかしレビー小体型認知症の予備軍でもあるので 何かと口うるさく
なっちゃうんですけれどね。
そらへいさんも大変かと思いますが 彼岸が過ぎて涼しくなり
始めた頃には奥様とお散歩できますように!私も親を外に出して
歩くリハビリをしなくてはと思うこの頃です。
早く涼しくなあれ!☆彡
by ゆうのすけ (2024-09-07 04:50)
突然の入院、そして手術、ご本人はもとより
ご家族もとても心配な日々を過ごされたと
思います。
先ずは退院されたとのこと、良かったですね。
家に帰られて少し動かれるようになる方が
回復が早いのですよね。
体にメスを入れる厳しさは経験しないと解らないもの。
まして開胸手術の予後は本当に大変です。
私は辛さを言葉で表現できず胸に秘めてしまいました。
でも訴えられた方がいいかと。
ご家族が傍にいて普通に過ごしてもらうことが何よりです。
奥様の回復力にはびっくりでした。
これから少しずつ良くなっていくと思うのでゆっくりと
過ごされますように。
ご本人はじめ、ご家族様も本当に大変でしたよね。
薄皮をはぐように回復に向かうと思います。
本当に良かったですね。
by yoko-minato (2024-09-07 11:38)
せん妄 高齢者は入院するとあるようですね
私たち世代健康なのが一番ですがいつ何があるか安心は
できない年齢ですよね
でも動脈乖離で助かったそして回復も早いなんて素晴らしい生命力です。
私の父は同じ病気で外で発作に見舞われ亡くなりました。
by kiyotan (2024-09-07 20:13)
爛漫亭さん
こんばんは
私たち夫婦はこれと言った病気もせず長い間健康に暮らしてきましたがいつかこんな日が来ると漠然と思っていましたが、まさか人一倍健康な妻に来るとは思っていませんでした。
驚き、あれよあれよという間の手術と入院でした。
せん妄にはずいぶん悩まされました。いずれ消えるとどなたもおっしゃるのに妻は結局、入院中の3週間ずっとでした。
家に帰るだけで消えるとは、不思議なものですね。
by そらへい (2024-09-07 20:27)
ゆうのすけさん
こんばんは
入院中は、決った時間に見舞いに行くだけなので、ある意味楽なところもあるのですが、家に帰ってくるとそういうわけにも行来ませんね。とくに退院後の一週間、私のストレスはマックス状態でした。
いつもお父さんの世話をされているゆうのすけさんのご苦労が偲ばれます。もちろんしんどいのは妻の方と分かってはいても、こちらも人間ですからイライラすることもありますね。
とてもブログに向かう時間も無く、2週間経ってようやく少し時間が取れるようになってきました。
今日の夕方、家のまわりをほんの少し妻と歩きました。距離はたいしたことありませんが、退院後無気力気味の妻が少し前向きなってくれただけでも良かったかなと思っています。病人は、身体だけでなく、心もやはり病んでいる気がします。
by そらへい (2024-09-07 20:36)
yoko-minatoさん
こんばんは
妻は、倒れた時の記憶はあるのですが、それから先の記憶がありません。気づいたら病院のベッドに横たわっていて自分がどうなったか分からないのでよけい不安だったのだと思います。
そのことは繰り返し訴えていましたし、今でも言いますね。本人は同意したはずなのに覚えていないので、予告のない手術と一緒です。
>体にメスを入れる厳しさは経験しないと解らないもの。
まして開胸手術の予後は本当に大変です。
これが盲腸もしたことがない私には分かりません。妻は痛い、痛いとよく訴えています。しかし私にはどうしようもありません。お医者さんも痛み止めを出すだけで取りあってくれないようです。
少しずつ時間が経って、痛みが薄れていくのを待つしかないですね。
出来ることは少しずつ体を動かすようになってきてくれました。何位もしないよりリハビリになると思います。もちろん出来ないときは私がしますけれども。今日は孫が来て普通にバアバを演じていました。
あれだけの手術をしたのですから、少しずつですね。
by そらへい (2024-09-07 20:47)
kiyotanさん
こんばんは
いつかこんな日が来ると思ってはいましたが、来てみるとなかなか大変ですね。私は私なりに自分の健康に気をつけていましたが、今から考えると妻の健康についてはあまり考えていませんでしたし、言っても聞かないところがありました。
動脈解離、恐ろしい病気ですね。お父上が同じ病で亡くなられたのですか。妻はいつもなら家に一人でいるところ、たまたまお寺でたくさんの人の前で倒れたのですぐ救急車を呼んでもらい助かることが出来ました。助かった命、大事にして欲しいと思います。
by そらへい (2024-09-07 20:55)
突然の奥様の入院、ご心配なことが多かったと思います。
早いご回復のようで何よりです。
術後せん妄は、父、母、両方で体験しました。
通常は2週間程度でおさまると聞いていたのですが・・。
父はせん妄が長引いてそのままパーキンソン病と診断され要介護に。
母の方は、骨折の入院ではせん妄は短かったのですが、その後の肺炎での入院時には激しく暴れて手が付けらなくなり、そのまま精神病院へ転院。3か月を経て施設へ行くことになりました。
全身麻酔での手術は体への負担が大きいと思います。
気温も少し下がってお散歩しやすい季節になっていますし、無理をしずぎず少しずつ日常へ戻っていけますように。
by ゆきち (2024-09-08 10:40)
ゆきちさん
こんにちは
術後せん妄、怖いですね。
ご両親もそんなことがあったのですね。
私も長引くと認知症になることがあると聞いていたので、
2週間過ぎても治らなかったので心配しました。
覚悟をして手術を受けるのと違って、いきなりの緊急手術、麻酔による記憶喪失、手術による体への負担、病院と言う環境、いろいろなことが重なりあってのことなのだと思います。
退院して二週間、少しずついつもの主婦目線に戻ってきてくれているのは頭のリハビリに良いかなと思っています。
身体の方は、当然かつてのようにはいきません。
少しずつ良くなっていってくれればと思っています。
by そらへい (2024-09-08 13:43)
お見舞い申し上げます。
ずっと、皆さんのブログも訪問せずにいました、
大変な夏でしたね。
早い回復を願っております。
by sigedonn (2024-09-08 15:02)
たいへんでしたね。でも、体力があり、順調に回復とのこと、何よりです。まだ、暫くは目が離せないこともあるかもしれませんが、徐々に良くなっていかれるのではと思います。
無理をされず、過ごされますように。
by mayu (2024-09-09 08:05)
お早うございます、飛騨高山 朝市散歩に
コメントを有難うございました。
古い町並みには、良いところがたくさん
有ります。春・秋のお祭りにも行きましたが
行くたびに新しい発見がある町です。
私も外科手術の後に、麻酔科から覚めた後に
せん妄が起こることがあると、言われたことを
思い出しましました。麻酔の最中は頭の中では
普段とは違うことが起きて、何かの拍子に
変な行動が起きるのかな・・・
環境が変わると良くなることが、多いようです。
お大事にしてください。
by tarou (2024-09-09 08:46)
sigedonnさん
ありがとうございます
我が家では今までこういうことはほとんどなくて
親の時以来だったのでさすがに驚きました。
何とか手術も成功して3週間で退院してくれましたが
これからの方が長いのかもしれませんね。
by そらへい (2024-09-09 19:48)
mayuさん
こんばんは
両親を亡くした時は私たちも若く大変でしたが
それからずっと健康で平穏な日々を送ってきたので
手術、入院は40年ぶりのこと、
いよいよ我々の番がやってきた感じです。
一番しんどいのは、やはり本人ですが
周りもなかなか大変ですね。
少しずつ回復していってくれたらと思っています。
by そらへい (2024-09-09 19:55)
tarouさん
こんばんは
高山、若いころ一人旅で、職場の旅行
家族で行ったこともありました。
それぞれ楽しい思い出です。
せん妄、麻酔や投薬、手術による体への負担などで、
脳が混乱するのでしょうか。
長引くと認知症になるとも聞いていたので心配しましたが
家に帰ったらすっかり消えて安心しました。
まだ退院して2週間ほどなのですが
少しずつ元気になってくれたら
二人で日帰りドライブでも楽しみたいなと思っています。
by そらへい (2024-09-09 20:15)
奥様、せん妄がなくなって、何よりでやす。
一時は大変な思いをされたのでやすね。
回復する症状で、ほんとに良かったと思いやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2024-09-10 11:08)
ぼんぼちぼちぼちさん
こんばんは
せん妄の方が気になって、肝心の元の病気に対する不安が薄れていました。今回の手術はとりあえず回復に向かっているようです。
ただ再発すると怖いので不安は常にあります。
by そらへい (2024-09-10 20:02)
せん妄は母親で経験しました。
術後なのに歩こうとするからベルトで固定されてました。
あれは動揺しますね。
by たいへー (2024-09-11 08:05)
たいへーさん
こんばんは
妻もICUで一度点滴を抜いてしまったそうです。
ともかく入院中ずっとあった変な言動には動揺しましたね。
今は笑い話になりましたが、一時期は心細い思いをさせられました。
by そらへい (2024-09-11 19:45)
奥さん色々と大変でしたね。せん妄も無くなって来て良かったです。
まだまだ暑さが続く感じなので無理しないよう気を付けて下さい。
by Yamamoto (2024-09-12 09:17)
Yamamotoさん
こんばんは
ほんとうにこんなことになるとは思ってもいませんでした。
もちろん本人も前後の記憶を失っているので
胸の傷と痛みで実感しているところです。
本当に9月半ばとは思えない夏の天気ですね。
by そらへい (2024-09-12 19:35)
奥様 大変でしたね、でも自宅に帰って回復が進んでいる旨何よりです。私の妻は認知症、被害妄想で困っています。回復の兆しもありません。もう歳も86歳ですが毎日何も無く過ごせた日は1日もありません。今日は認知症関連でなく乳癌手術後の定期検診に連れていくのですが病院内で迷子にならないようにするだけでも大変です。
今年の異状な暑さも先が見えてきたように思います、奥様の回復がさらに進みお二人で散歩やドライブされている姿が想像できます、お大事に。
by enosan (2024-09-13 02:39)
enosanさん
コメントありがとうございます
いつも素敵な写真を掲載されている enosanさんに
そんなご苦労があったとは、知りませんでした。
私は73歳、妻はまだ66歳です。
まだまだひよっこ、ようやく入り口に立ったところですね。
今回、何とか私が動けましたが、もっと高齢になっていたら
乗り切れたかと思っています。
我が家はおかげさまでずいぶん落ち着いてきました。
ただ妻は再発の不安におびえていますが、
あまり考えないようにと言っています。
妻も買い物に連れて行くだけでも気分が少し晴れるようです。
もっと涼しくなったら、日帰りのドライブなどに誘いたいと思っています。
enosan も奥様のお世話大変なことととお察し申します。御身大切にお過ごしくださいますように。
by そらへい (2024-09-13 19:43)
様態が安定したら奥様をドラ是非
連れて行ってあげて欲しいです。
やはり外の景色をしかも走りながら見ると
気分転換にいいですよね。
本人と家族の人の感情は少しずれてしまいがち。
私も手術の挿管出喉を傷めて1年程声が出なくて
筆談でした。
中々意思疎通が難しくて・・・
夫はそんな私を見ているのがつらかったのか,仕事から
帰るとすぐにPCばかり。
ドライブに誘ってくれるのですがずっと黙っていたので
私と居てもつまらないのだと気持ちが沈んだことも
ありました。
後日何を話していいか分からなかったと・・・
優しい人なのであれこれ考えてしまったのでしょうけど
出来るだけ普通に接してしゃべって欲しかったです。
そんなこともありましたね。
by yoko-minato (2024-09-14 16:34)
yoko-minatoさん
こんばんは
一年間、声が出なかったのは辛かったですね。
ご主人もまた、気を遣われたことと思います。
妻は、まだ身体が本調子ではありませんが、口は達者です。
毎日、痛い痛いと言うので最近は半分気を遣い半分聞き流しています(笑)
ドライブは気分転換にも、外の刺激を受けるので良いですね。
もう少し涼しくなり、身体の調子が良くなれば
どこか近場、ドライブに誘おうと思っています。
あんな大きな手術をしてまだ一月半を過ぎたところ
痛みがあるのは当然ですが、薬を飲む以外どうしようもありません。
身体のことばかり思っているので、痛みがとくに気になるのだと思います。
人と喋ったり、孫が来たりしたときは言いませんから。
ずっとつきっきりでいるのも疲れるので、
最近は適当に自分の時間作れるようになってきました。
今日で退院して3週間、入院していた期間と同じになりました。
ふり返って見ると、やはり入院中の3週間の方が長く感じましたね。
日常は、淡々と過ぎて行きます。
再発が心配ですが、医師に言われた通りの予防に気をつける以外どうしようも無いので、あまり気にしないように妻に言っています。
今元気な私でも明日交通事故で死ぬこともあるかも知れないし、何か病気を持っているかもしれない。みんな一緒だと。
私も考えても仕方が無いことは考えないようにしています。
by そらへい (2024-09-14 20:33)
奥さんの回復が早くて一安心ですね。
しかし大変でしたね、せん妄は身近な者でなったものがいないので
わかりませんが、結構たいへんですね・・・
自宅にもどられてよくなって家事もされるとのことで一安心ですね
大変な夏になりましたね・・・
by ken (2024-09-15 06:39)
kenさん
こんばんは
今年の夏は特別暑い夏でしたが、我が家も特別でした。
病の重さのわりに早く退院出来て、心配したせん妄も
家に帰った途端、すっかり消えてひと安心しています。
今は、じっとしていてもいけないので、
身体を慣らす程度に動いてもらっています。
気晴らしにドライブでも行きたいのですが
まだ暑いし本人の体調もまだまだのようです。
by そらへい (2024-09-15 19:37)